潮風をきって走れ

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 そう。  それがわたしが走る理由だ。それ以上の、何も他にはありはしない。  ただそれだけだ。  今はもうどこまで走ってもぜったいぜったい会えない、鍛え上げた長い丈夫な脚をしたあの人の。資格をわたしは、引き継ぐんだ。そしてその先を走るんだ。ぜったい、ぜったい、ぜったいに。わたしが代わりに。わたしがわたしの、この脚で。  だから、負けない。負けることはできない。  わたしは世界と、まだ勝負するところにさえ立ててない。世界の扉は、もっとずっと先にある。だからこんなところで。こんな小さな手前の場所で。わたしがここで誰かに負けることはできない。負けたくない。相手が誰であったとしても。  そう。それがわたし自身とかわした約束だ。あのとき父の残した、大きなシューズを胸に抱いて。  負けない。わたしは勝つんだ。ぜったいに。  勝てないことの言い訳は、ぜんぶもう、世界の淵に放り投げた。  あとはもう―― 今はここで、とにかく精いっぱい、腕をかくんだ。水を蹴るんだ。  そして息を継ぐ。息をするんだ。そして空気が、わたしの丈夫な心臓に、新たな命を吹き込んで。  わたしは蹴る。蹴る。水を蹴る。この、早朝の濃い潮の香りにつつまれた入江で。小雨で視界がよくないけれど。けど。スイムコースに沿って並んだ蛍光色のブイを目印に。わたしは蹴って、蹴って。吸って。吸って。
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