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「……」
殺人を犯すと明言している者を、看過するべきではない。元警察官として──人として為すべきこと。晃暉は理解している。それでも、頭の中で囁く天使と悪魔の声が、主張を崩さない。お前に防ぐ資格はないと、悪魔が声高に言い張っている。
拮抗している囁きにすら辟易として、晃暉は深い溜め息を吐き出した。
「今の俺に生きてる価値などないが、君に殺されるほど落ちぶれてもいない」
「骨の髄までボロボロに見えるけど。話して、楽になりなよ」
口調も表情も寄り添っているようで、実際は晃暉を、絶望の淵へと追い詰めている。貼り付けられた微笑も、死神の手招きと大差ない。
誘われはしない。晃暉は少女を見つめ、薄く笑んだ。
「楽になれるものなら、なりたいさ」
「だったら──」
「自分で死ぬ勇気も、誰かに殺される勇気もない、臆病者なんだよ、俺は」
「……あくまで、話す気はないって?」
「そういうことだ」
肯定が、少女の口を尖らせる。不満から逃れるように、暗闇に染まる帰路に目を向けた。
「君の信念に口出しできるほど立派な人間ではないが、君のそれは危険思想であるのは確かだ。気が向かないが、気が向いた時に、聞く耳を持たない警察官に伝えておくよ」
「それは困る」
ぎゅっと。晃暉の裾を握る手が、微かな困惑を表す。
「あいつを殺すまで、誰にも邪魔されたくない」
「人殺しは犯罪なんだ」
「おじさんもでしょ」
「……」
「邪魔されたくないから、早く教えて」
「……あくまで、それか」
貫き通す意地に感嘆を覚えながらも、凌駕するほどの呆れが、晃暉の口許を歪ませる。聞く耳を持たない。少女の性格を改めて理解した晃暉は、終わりの見えない水掛け論に見切りをつけた。
「ちょ、っと……」
帰路につく足に、少女が戸惑う。それでも、左裾を離そうとはしなかった。
脱力していても、男性と女性。力の差は歴然。左裾を引っ張られても、晃暉の両足は前へと進む。
「ねえ」
「……」
「ねえってば」
デート中に喧嘩した彼氏と彼女のような。あるいは、駄々をこねる子供と素知らぬ振りをする親のような。
左裾に付く少女には応じず、晃暉は無心で、足を動かし続けた。
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