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3話 お茶会
お茶会とはつくづく退屈なものである。
前世のお茶会はあんなに楽しかったのに、どうしてこの世界の茶会はここまで退屈なのだろう。
理由はわかっている。
目の前に広がる数々のお菓子。
最上級のティーカップに異国から買い占めた高価な茶葉で入れた紅茶。
無駄に装飾が加えられた家具に囲まれ、上品に紅茶を嗜む婦人たち。
ハンドルを軽く添えて見えるように摘まむ手で飲む紅茶は気が休まらなくて味がしない。
常に周りの目線や会話に気を遣わなくてはいけないのも苦痛だ。
興味のない誰かの噂話。
聞いているふりをするために、絶えず相槌を打たなければならない。
そんなことをしていたら、お菓子に手を付ける事すら憚られて、何のためのお菓子なのだと言いたい。
美味しそうなお菓子がいくら並んでいてもそれはただの鑑賞物のようなもので、権力を見せつける象徴でしかない。
ああ、何と勿体ないのだと涎が垂れそうな口を必死で閉じて、ぼんやりと眺めていた。
そんな時、横からウィリアムが私に話しかけてくる。
最初は気が付かず、二度目の呼び声で慌てて振り向いた。
「エリザ? どうかしたのかい?」
ウィリアムは私を心配したのか、顔を覗かせて来る。
その顔が近く、私は驚いてつい身体を後に逸らした。
この王子の距離感はどうなっているのだ。
婚約者と雖も、その配慮はしてほしい。
「な、なんですの? ウィリアム王子」
私は微笑を浮かべ、貴女らしい口ぶりでウィリアムに尋ねる。
するとウィリアムは優しく微笑み、私を庭に誘ってくれた。
私が退屈に思っていたのがバレていたのかもしれない。
噂にでもされたら、またエマに怒られると思いながら、ウィリアムの誘いを受けて一緒に庭に出ることにした。
庭を歩きながら、ウィリアムは私に楽しそうに話しかけてくる。
「もうすぐ僕らの学園生活が始まるね。寮生活なんて初めてだから緊張するよ」
彼はこれから始まる学園生活に期待を膨らませていた。
私は逆だ。
学校という場所がどういう所か知っているし、しかもそこが貴族ばかりあつまる窮屈な場所と知っていたら何の希望も持てない。
全寮制なんてものも気が引けるし、せめて授業が終わった後は住み慣れた我が家に帰ってダラダラしたい。
お気に入りの部屋に、毎日眺めているベッドで一日の疲れを癒したい。
どうにかして馬車で学園に通えないものかと考えてみたが、我が領は学園からとても遠く、寮に入ることは全生徒の規定らしい。
ということは、終日学園の人間に囲まれて生活するのか。
私は一人大きなため息をついた。
それに気が付いたウィリアムが、更に心配した様子で私に話しかけてくる。
「もしかして元気がないの? 悩みごとがあるなら聞くよ?」
これもウィリアムなりの優しさなのだろう。
わかっているけれど、ウィリアムに何もかも話す気にはなれない。
どんなに頑張っても王族と侯爵家の壁は厚い。
たとえそれが婚約者だったとしてもだ。
私は手を振りながら答えた。
「問題ありません。お気遣い頂き感謝致しますわ」
「そんな、遠慮しないでよ。僕らはいずれ夫婦になる間柄でしょ。君のことは何でも知っておきたいんだ」
このウィリアムの言葉に感動する乙女もいるかもしれない。
しかし、私にはかえってその言葉を重く感じる。
婚約者だからなんだというのだ。
私はきっと一生王子であるウィリアムに本音なんて話せない。
それは何の問題なく彼の妻になった後だとしても同じこと。
「本当にお気になさらないでください。ただ、わたくしも学園生活は初めてのものですから、緊張しているだけですわ」
何を言っているんだか。
学校生活なんて小、中、高と12年通い、おまけに大学まで通っていたというのに、あの世界を知らないわけがない。
確かに寮には住んでいなかったが、一人暮らしは大学生活で経験していた。
始めは不安より期待の方が大きかった。
やっと親元から離れて自由に生活できると思ったら、不慣れな大学生活の不安なんて吹き飛んでしまうぐらいだ。
お金の管理とか自炊とか家事とか大変なこともたくさんあったけれど、それなりに満足していたと思う。
残念ながら彼氏という未知なる生物を向かい入れたことがない女の園だったが、大学の友人が何度か遊びに来て、時には泊まって過ごした。
あの時は本当に楽しかった。
一人で寂しいと感じた瞬間も確かにあったけれど、そんな時は友達に電話をかけたり、オンラインゲームで遊んで気を紛らわしたりしたっけな。
どんな形だとしても誰かの存在を感じられた時は、どうしようもなく落ち着かなかった気持ちが晴れていくのを感じるのだ。
今も両親はそばにいないけれど、そのかわりエマがいる。
屋敷に帰れば、エマが出迎えてくれて、朝から晩まで呼べば来てくれる距離にいてくれる。
そういう安心感が今の館にはあるのだ。
それをわざわざ離れて、一人寮に住むなんて望んだことではない。
侯爵家以上の上級貴族に関しては、一人一部屋それなりの大きさの部屋が与えられ、使用人室も宛がわれる。
だから家からお付きの者を一人連れて来られるのだけれど、メイド長であるエマにその役目は出来ない。
エマは私に気兼ねなく話してくれるけれど、他のメイドたちは私に遠慮してかあまり話しかけてこなかった。
何か質問しても当たり障りのない答えしか返ってこないのだ。
家主の身内に対し、失礼なことをしてしまったらという恐れから口に出来ないのだろうから、それは当然だと思う。
万が一にも怒らせれば、彼女たちは屋敷を追い出され、路頭に迷うことになるのだ。
私達侯爵家と使用人の間にもまた深い溝があるわけだ。
その中でもメイド長のエマと執事のコールマンだけは私に家族のように接してくれる。
今や彼らは我が家にとって欠かせない従者となっていた。
「でも、エリザが一緒で良かった。とても心強いと思っているよ」
ウィリアムのその言葉を聞いて疑問に感じた。
ウィリアムは王子だが、私と違って多くの友がいる。
みんな、私と同じように親が決めた家臣の息子たちだが、私なんかよりもずっとうまく付き合っていると聞いていた。
彼らもまた、同じ時期に学園に入学するはずだ。
私なんかいなくても、寂しくないだろうに。
「しかし、殿下。確か学園には殿下のご友人も多く進学されるとか。わたくしなどいなくても、頼れる者はたくさんいらっしゃるのではありませんか?」
するとウィリアムはゆっくり首を横に振った。
「そうではないよ、エリザ。確かに僕の友人も多く進学するけれども、エリザの代わりがいるわけではない。エリザとは幼い頃からの付き合いだ。それに男友達とはまた違った関係だろう? だから僕は君がまた側にいてくれることが嬉しいんだ」
彼はそう言って笑った。
なんて人たらしの王子様なんだと思う。
けど、私もやっと素直に笑えた気がする。
「そうですわね。わたくしも殿下がいらっしゃって、安心しておりますの。頼りにしておりますわ、ウィリアム王子」
「こちらこそ」
ウィリアムはそう言って私の手を優しく握った。
淑女の手をこう軽々と触れるなど、将来はどんな色男になるのか心配になって来た。
まぁ、それでも今のウィリアムには下心なんてものはないのだろうけれど。
学園の事を思い出すと同時に、私はこの世界に来てずっと懸念していたことを思い出した。
しかし、それを確かめるのは今じゃなくていい。
学園に入れば、全てがはっきりすることだ。
「さぁ、殿下。そろそろお部屋に帰りましょう」
私はそう言ってウィリアムの手を引いた。
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