公園のベンチに喋って動くとりとねこのぬいぐるみがいた話。

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 ハルトの蹴ったボールが予想外の方向に飛んでいってしまった。  ユズルは「おいー」とうんざりした声を上げて取りに行く。 「ごめーん」というハルトの声を背中に聞きながら、ユズルは走った。  二人の遊び場のこの公園は、すごく広くて遊び甲斐はあるのだけれど、こういう風にボールを追いかけたりするときは、広すぎてだるい。  どこかで止まってくれ、というユズルの願いも空しく、ボールは剥げかけた芝生の上をぼこぼこと跳ねながら転がっていき、外れにある木製のベンチの脚に当たってようやく止まった。  ベンチはユズルたちに背を向ける形で設置されていて、そこにおじいさんが一人で座っていた。  向こうを向いているおじいさんは、背後から転がってきたボールがベンチの下にあることには全く気付いていない。  ユズルは、取ってくださーい、と声を掛けようかとも思ったが、どうもかなり高齢のおじいさんのようなので、やめた。  自分で取った方が早そうだ。  おじいさんを驚かせないように足音を控えめにベンチに駆け寄ると、ユズルは気付いてしまった。  おじいさんが何かを喋っている。  ベンチには他に誰もいない。近くに誰かが立っているわけでもない。  それなのにおじいさんはなんだかとても楽しそうに話していた。  ユズルは最初、誰かと電話しているのかな、と思った。  街でたまに見かける、大きな声で独り言を言いながら歩いている人。びっくりしてよく見たらその人はイヤホンをしていて、それで誰かと通話しているんだと分かった、という経験をしたことがある。  でも、おじいさんはイヤホンなんかしていなかったし、とてもそんな風に電話するような人には見えなかった。 「それじゃあお金がかからなくていいなあ」  おじいさんがそう言って、ははは、と笑った。  ああ、きっとちょっとボケちゃってるんだな、このおじいさん。  着ている服は割としっかりしているように見える。  認知症が始まると身だしなみに無頓着になることが多い、と介護施設で働く母親が言っていたことをユズルは思い出す。  散歩の途中かなあ。ちゃんと家に帰れるといいけど。  そんなことをちらりと思ったが、まだまだ明るい時間だ。大丈夫だろう。  ユズルは足を伸ばしてベンチの下からボールを出すと、両手を振っているハルトに向かって思い切り蹴った。  塾があるから、と言っていつもよりずいぶん早い時間にハルトは帰っていってしまった。  そういえば木曜日はあいつは塾だった。  こんなことなら、もう一人くらい誘っておくんだった。  ユズルは自分の迂闊さを呪う。  公園にはまだ子供の姿はあるが、どれも知らない子たちのグループだ。  仕方ない。帰ってゲームでもするか。  ユズルは軽くリフティングしながら公園の出口に向かって歩き出す。  ミスキックをしてぽろりとこぼれたボールを小走りに追いかけたとき、さっきのベンチがちょうど目に入った。  もうおじいさんの姿はなかった。  よかった。帰ったみたいだ。  あまりずっと同じ場所に座っていたんじゃ、本当に心配になるところだった。  ほっとしてベンチに歩み寄る。  ちょうどあまり人の来ない場所。ベンチは向こう側の花壇に向けて設置されている。 「いやー、有意義な時間だったね」 「やっぱりお年寄りは含蓄が違うよねえ」  え?  何か聞こえる。  誰もいないベンチから。  ユズルは思わず周りを見回す。  向こうの方には子供のグループやベビーカーを押す女の人たちのグループがいるけれど、近くには誰もいない。  けれど、話し声は確かにこのベンチから聞こえる。 「レイはまだ来ないのか」 「忘れて帰っちゃったんじゃないかな」 「それはまずいな」  何だ、この声。  得体の知れない事態に腰が引けたが、好奇心の方が勝った。  意を決してユズルが覗き込むと、ベンチには予想外のものがいた。  ぬいぐるみが二つ。  白いとりと三毛のねこの、片手に乗るサイズの間抜けな顔をしたぬいぐるみ。  それがベンチの上でふこふこと動いて喋っている。  嘘だろ。  ユズルは自分の目を疑ったが、それでも目の前でぬいぐるみは元気にふこふこと動いている。 「お?」  とりのぬいぐるみがユズルの視線に気付いてふこりと手羽を上げた。 「老人の次は少年が来たぞ」 「退屈しないねえ」  ねこのぬいぐるみも振り向いてそう言うと、腕をぴこぴこと動かす。 「まあまあ、そんなところに立っていないでどうぞどうぞ」  ぬいぐるみにベンチを勧められてしまった。 「え? いや、えっと」  ユズルはきょろきょろと周囲を見まわす。 「これ、何かの撮影?」  その言葉に、ふたりのぬいぐるみは、ほう、という顔をする。 「もしも撮影だとしたら、それは何の撮影だと思うかね、少年」  とりのぬいぐるみが手羽をくちばしの下に当てて、ちょっと偉そうに言う。 「えっと、人形劇? みたいな……ほら、ピアノ線とかいうのがどこかにあって」  自分は今誰と話してるんだろう、と思いながらもユズルは答える。  ピアノ線というのは、ものすごく細い糸だ。ユズルも実際に見たことはないが、推理マンガのトリックによく使われているのは知っている。  ピアノ線を使っている、と言えば遠くから凶器を回収したり死体を遠隔操作したり、そういうことが可能なのだ。 「ピアノ線かー」  ねこが腕をまたぴこりと動かす。  ユズルは目を凝らしたが、どこにも何の紐も見当たらない。 「答えは否、だ。少年よ」  とりがふこりと首を振る。 「我々のかわいいからだは、どんな糸にも線にも操られていはいないのだ」  自分でかわいいって言ったぞ、このぬいぐるみ。 「今日はたまたまこの公園に視察に訪れたわけだが」  とりの言葉に、ユズルはさっき見た独り言おじいさんのことを思い出す。  そうか、あのおじいさんも独り言じゃなくて、このぬいぐるみと喋っていたのか。  そう気づくと、自分の姿が周りからどう見えているのか気になって、ユズルはきょろきょろとあたりを見回す。  幸い、ベンチの近くには他の人はいなかった。  ユズルが男子のくせに公園で一人でぬいぐるみ遊びをしていた、なんて学校で言いふらされたら人生の一大事だが、今のところそんなやつは見当たらない。 「話をしようじゃないか、少年。名は何という」 「ユズルだけど」 「ユズルか。いい名前だな」 「ねー」  とりとねこは顔を見合わせてふこふこと頷く。 「座りたまえ」  とりに促されて、ユズルはベンチに腰を下ろした。 「ユズルは第三小学校の生徒なのかな」 「そうだけど」 「ならレイの先輩だな」 「先輩だね」 「レイって誰?」 「なんだ、ユズルはレイを知らんのか」  とりは驚いたように両方の手羽をぴこりと挙げる。 「同じ第三小の生徒だろうに」 「その子、何年生?」  ユズルは唇を尖らせる。 「同じ小学校って言っても、一つの学年に4クラスもあるんだぞ」 「はて、何年生だったかな」 「ぼく知らなーい」  とりの言葉に、ねこは一瞬も考える様子もなくふこふこと動き回っている。 「4クラスか。まさかそんなに子供がいたとは。日本は少子化であと数年もしたら滅びるとかなんとかテレビのニュースで言ってた気がしたが」 「いるところにはいるんだねー」  子供の数は減ってるらしいけど、あと数年で滅びることはないと思う。  小学生のユズルにも、それくらいのことは分かる。 「まあいい。ユズルよ、それじゃあ一緒にゲームでもして遊ぼうじゃないか」 「え、ゲーム?」  ベンチにはとりとねこのほかには、ふたりが入っていたと思われる女の子向けのピンク色のポシェットが一つ。  でも、それもぺちゃんこにへこんでいて何も入っているようには見えない。 「ゲーム、ないじゃん」 「やれやれ」  とりが両方の手羽元をふこりと挙げてため息をつく。 「道具がなければゲームができないわけじゃないぞ。ゲームというのは、ここだ」  そう言いながら、自分のこめかみ辺りをぴこぴこと突っつく。 「発想力だよ、発想力」 「え?」  ユズルは顔をしかめた。 「難しそう」 「そんなことはない。このとりねこゲームのルールは単純」  とりはびしりと手羽を上げる。 「ぼくとねこくんのどちらかが掛け声に合わせて一歩前に出るから、ユズルは前に出るのがぼくだと思ったら、ぴよ、ねこくんだと思ったら、にゃー、と言うだけだ。当たったらユズルの勝ち、外れたらぼくらの勝ちだ」 「えーっと……」  よく分からない。ユズルが困った顔をすると、とりは焦れったそうにふこりと頷いた。 「ゲームというのは口で説明しても面白さが伝わらないんだ。そうだろう、ユズル」 「え、あ、うん。そうかな」 「線の中にいる相手をみんなで囲んでボールをぶつけるゲーム、とか言ってもドッジボールの面白さは伝わらないだろう。こういうのはやってみるのが一番いい」 「やろうやろう」  ねこが嬉しそうに言う。 「そうすればユズルにもわかるよ」 「まあ、じゃあ……」  ふたりのペースに乗せられているな、と思いながらもユズルは頷いた。 「よし。それでは」  とりとねこがベンチの上で横に並ぶと、声を揃えて歌い出した。 「とーりねーことーりねーこ、前に出るのはどーっち」 「どっち」の「ち」でとりがふこりと前に出た。 「え、あ」 「ユズル。そこで“ぴよ”か“にゃー”のどっちかを言わないと」  とりが言う。 「今のはとりさんが前に出たから、ぴよって言ってたらユズルの勝ち、にゃーって言ってたらぼくらの勝ちだよ」  ねこが補足する。 「ああ、そういうことね。分かった」  ユズルが頷くと、とりとねこは顔を見合わせて、うふふふ、と笑う。 「飲み込みが早い。さすがはぼくらの見込んだ少年だ」 「頭が柔らかいんですよ、若いから」  誉められてるのだろうか。ユズルの微妙な表情に構わず、とりとねこはまた横一線に並ぶ。 「それではいくぞ」 「とーりねーことーりねーこ、前に出るのはどーっち」 「ぴよ!」  ユズルが言うのと同時に、ねこがふこりと前に出た。 「あっ」 「やったー。ぼくらの勝ちだ」 「うふふふふ、ユズルの負けだな」  ハイタッチをしてはしゃぐとりとねこを見ていたら、ユズルの中で負けん気がむくむくと湧いてきた。 「もう一回!」 「お、いいぞいいぞ」  とりが嬉しそうに頷く。 「のってきたな、ユズル」 「じゃあもう一回」  ふたりがまた横に並ぶ。 「とーりねーこ、とーりねーこ、前に出るのはどーっち」 「にゃー!」  ユズルの声と同時に前に出たのはねこだった。 「ああっ」 「しまった!」  とりとねこが頭を抱える。 「やった!」  ユズルがガッツポーズをすると、とりが悔しそうに手羽先を上げる。 「くそう。もう一回だ、もう一回!」  それからユズルはしばらく白熱したとりねこゲームを楽しんだ。 「ぴよ!」 「やった!」 「にゃー!」 「ああっ!」  ふと気がつくと、あたりがだいぶ暗くなってきていた。  さっきから自分がベンチでぬいぐるみを相手に「ぴよ」とか「にゃー」とか言っていたことに気付いたユズルは、慌てて周りを見る。  よかった、誰もいな……、いた。  最悪だ。  同じクラスの女子のサエちゃんがいる。  誰かと遊んだ帰りがけだったのだろう。一人でちょっと離れたところから、戸惑ったような顔でユズルを見ている。  終わった。  まさかぬいぐるみと遊んでいるところを、自分の好きな子に見られるとは。  クルミやカナじゃなくてまだよかった。サエちゃんは大人しい子だから、あいつらみたいに明日の教室で言い触らすことはないだろう。  とはいえ、これはまずい。無駄かもしれないけど、せめて口止めだけでもしておかないと。 「ち、違うんだ」  サエちゃんに向かってとっさにユズルが口にした言葉は、悪いことをした後でそれをごまかす犯人の台詞みたいだった。 「このぬいぐるみ、俺のじゃないんだ」  とりを持ち上げると、とりは小さな声で「いてっ」と言う。 「誰かの忘れ物なんだけど。喋るんだよ」  サエちゃんは驚いたように大きな目をぱちくりさせていたが、おずおずと近付いてきた。 「ユズル君のじゃないの……?」 「ちがうちがう」  ユズルは首を振る。 「ここに、ほら」  ピンク色のポシェットを持ち上げてサエちゃんに見せる。 「ほら、誰か女の子が持ってきて忘れたんだよ」 「あ、ほんとだね」  頷いたサエちゃんは、ベンチからねこのぬいぐるみを持ち上げる。 「ねこさん。ちょっと汚れてるけど、かわいい」 「あの、それで、このとりとねこがゲームしようって」  そう言いながら、ユズルは気付いた。  とりとねこが動いていない。話もしない。  これじゃまるでただのぬいぐるみだ。 「あ、あれ? おかしいな」 「忘れられちゃったぬいぐるみに話しかけてあげてたんだね」  サエちゃんが言った。 「ユズル君、優しいね」  そう言ってにこりと微笑む。 「え、あ、いや」  そうじゃなくて。  本当に喋ったんだけど。  だけどユズルの持つふこりとしたとりは、まるで動く気配がない。 「あーっ、ここだったー!」  突然叫び声がしたと思ったら、お下げ髪の小さな女の子が鉄砲玉みたいに突っ込んできた。 「よかったー、どこに置いたのかと思ったー!」 「あ、これあなたの?」  サエちゃんがねこのぬいぐるみを差し出すと、女の子は「うん!」と言ってそれを受け取る。 「あ、これも」  ユズルがとりのぬいぐるみを突き出すと、女の子は「ありがとー!」と言って受け取り、そのまま二つまとめてピンクのポシェットにぎゅうぎゅうと詰め込む。 「むぎゅう」 「こらレイ、もう少しやさしくしろ」  そんな声が聞こえたような聞こえなかったような。 「じゃあねー!」  女の子はポシェットを肩から提げると、ばびゅーんと音がしそうな速さでまた突っ走っていってしまった。 「……ユズル君」  呆然と女の子を見送ったユズルに、サエちゃんが言った。 「うちにもいっぱいぬいぐるみあるんだ」 「え?」 「今度来る?」 「え? え?」 「一緒に遊ぶ?」  い、いや。女の子の家で、ぬいぐるみで遊ぶだって?  そんなこと、男として恥ずかしくてできないぞ。  ユズルは混乱した頭でそう考えた。  だけどサエちゃんには弱みを握られてしまった。  そ、それじゃ仕方ないのかもしれないな。 「あっ、みんなには内緒だよ」  ちょっと顔を赤くしたサエちゃんにそう言われて、ユズルはこくこくと頷くのだった。
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