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受難の時代
「絶対に秘密にしておいて……」
チャーリーは、自分を呼び止めたずうたいの大きな獣に何度も何度も頼みました。
「小僧、なにを秘密にするってんだ。まったく意味がわからんぞぉ!」
「ええと……それは……」
「そんなに怖がらなくてもいいぞ! おまえを喰らうつもりはさらさらないからな」
「…………………」
「なにをそんなにおびているんだ? おれさまはこう見えても、おやさしいんだぜ。とりわけ、おれさまよりからだのちっちゃい奴にはな」
「そ、そうなんですか?!」
「ああ、その理由がわかるか?」
「い、いえ……」
「簡単なことさ。弱い奴が相手なら、いつでも、どこでも、喰っちまうことができるだろ? な、それ以外の哲理があるとでも?」
「い、いえ……ごもっとも」
チャーリーはもともと口数が少ないタイプではありません。ですが、傍若無人なる相手には、しぜんとからだが縮こまるのです。
数えきれない自然の歪みの産物たちが勝手気ままに人語を喋っていた頃のお話です。チャーリーを、1匹の、といっていいのか、1頭と呼ぶべきなのか、それはわかりません。
「なぜか、ぼくを食べようとだれもかれもが、追っかけてくるんです。だから、ぼくとここで会ったこと、絶対に秘密にしてほしいんです。なんなら、ぼくの腕の一つぐらいは差し上げてもいいですから……」
「おいおい、ヘンなことをほざかないでくれ! おれが呼び止めたのはほかでもない。おまえの目玉を、ちょいとだけ、ペロリと舐めさせてほしいだけなんだ」
「は?」
チャーリーは驚きました。
……ある紀年度のある時期、かつてなかった旱天が続きました。そうです、何十日も何百日も続いた日照りのために樹齢幾千年の大木たちのからだをヒビと裂け目が貫き、大地はさながら熱を帯びた大きなお皿のようになりました。川の流れは停まり、それまで大河が隔てていた未踏の地へと移動をした数多くの獣たちも小動物たちも、水を求めた激しい争いが繰り広げられました。大地や森や川に水がないのですから、互いのからだに流れる血をすするしかありません。それはそれは醜い、けれどそれぞれの生存を賭けた闘いでしたから、そこには善悪とか正義不義で行動原理を規定するといったような、後世の歴史家たちの得意気な分析する余地は一切ありません。
大地の動植物たちにとっては受難の時代だといっていいかもしれません。
新しい環境に適応できたものはなんとか生き延びることができ、そうでないものは種族もろとも次々と死に絶えていったのでした。
チャーリーを呼び止めた獣は、ずうたいは大きいものの、骨の筋がくっきりと皮膚に現れた獣でした。飢餓に苦しんでいるのか、それとも元々そういう形状なのか、チャーリーにはわかりません。
それに、目玉を舐めさせてくれ……とほ、一体どういうことなのか、そのへんてこりんな要求の裏側に潜む真意というものを、チャーリーは読み取れませんでした。
「おいお若いの、そんなにとぼけるな。おまえの目玉から出るしずくには、すこぶる力があるそうじゃないか!」
突然、そんなことを言われてもチャーリーにはとんと見当もつきません。
「あのう……失礼ですが、どなたかと間違えておられるのでは?」
「ふん、ここにきて、まだ恍けるつもりかっ! おれさまは知ってんだぞ。おまえが、ライオンの仔を育てたってことを……!」
後世に、ライオンと命名区分されたその獣と出会ったことは、たしかにチャーリーの記憶にありました。
産み落としたばかりの母獣がチャーリーにこう告げたのでした。
『あとであたしを食べてもいいから、この児を助けてほしいの。このままじゃ、逝ってしまうから……』
すべての力を使い果たしたのでしょう、息絶えた母獣のそばで児獣が声なき声を挙げ続けておりました。
『ひゃあ! ぼ、ぼくにどうしろっていうんだ!』
そのとき、チャーリーは種族も違う獣から依頼されたことの驚愕より、じつにうまそうな児獣をどうしたらいいのか、その選択に悩まられたのでした。
『喰うべきか、喰わざるべきか……』
もしかりに母獣の最期の頼みごとがなければ、その児獣はチャーリーにとっては貴重な栄養源になっていたことでしょう。けれど、頼まれたら断りきれない……というのがチャーリーの性分で、ひゃあ、ひゃあと悩んでいると、児獣のほうからチャーリーに飛びついてきました。あまりのことにチャーリーの目からひとしずくの粒が流れ落ちた……かとおもうやいなや、それが児獣の口元にぽとり。
すると……どういうことでしょうか。
たちまち児獣はしゃきと四つ脚で立ちあがったのです。しばらくの間、チャーリーは一緒に暮らしていましたが、やがて元気になった児獣はいずこともなく立ち去ったのでした。
そんなことがあったなあと思い返したチャーリーでしたが、それでも、目の前の巨獣の言うことは理解できませんでした。
「ほら、いま、思い出したんだろ? 出し惜しみなんかするな。……それにな、お若いの、おまえは、頼みごとをされたら断れない性格だそうじゃないか」
ずる賢こそうにニタリと笑う相手の表情は、それこそチャーリーの心胆を寒からしむるものでした。
「な、ナメるだけなら……」
「おお、おお、いいこだ、いいこだ、おまえはきっと大成するぞ。こりゃ大器晩成というやつだな。いまは、ひょろひょろしていてもだな、そのうち、世の中がひっくり返るほどの大事業を成し遂げるぞ」
そんな能書きを垂れ続けながら、巨獣はチャーリーの右目をペロリ。
「おや……しずくはどうした、出てないぞ! おい、早く出せ、出し惜しみするなって、何度も言い聞かせておいたはずだぞ」
最初のうちは機嫌よくペロペロしていた巨獣でしたが、そのうち業を煮やしたのか、口を尖らせてチャーリーの目玉をグサリ……
「ひゃあ、痛い、痛い……」
のたうち回りながらもチャーリーはかろうじてその場から逃げ去ることができました……。
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