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5.怖い人
会社から15分ほどの位置に、飯嶋の住むマンションはあった。琉威の帰路とは真逆に位置していて、飯嶋がいつも遠回りをして琉威を送っていたのだと琉威は今になって気づかされた。
飯嶋のマンションは2LDKで、ひとり住まいにしては広めといえる。
琉威はこの二日で泣き腫らした目を、温かなシャワーをあてて早く治れと心から願った。こんな恥ずかしい顔で何でキスしちゃったんだろうと、今更ながら後悔ばかりが先に立った。
それでもようやく久しぶりにスッキリとした気持ちになってシャワーから出ると、飯嶋と裸でかちあわせてしまってまた恥ずかしさが込み上げてきた。
「ゴメン、びっくりさせちゃったね。はいこれ、着替えに使って」
きれいに畳まれたパジャマを渡されて、琉威は思わず俯きながら受け取った。
「ベッド使ってていいよ。あとで行く」
そう言って、今度は入れ替わるようにしてバスルームへと入って行った。
いつもと同じ口調でそう言う飯嶋は、どこか場慣れした感じに聞こえた。イケメンで仕事ができる優しい男なら、当たり前のことかもしれない。
琉威は自分だけが慣れない境地に立たされた気分になりつつも、ついつい飯嶋の元彼はどんな人だったのだろうと気にかかった。
先に寝室に入ると、ベッドサイドに置かれた棚には平たく本が積み上げられていた。その雑多な積み方が飯嶋らしいなと琉威は思う。会社のデスクの上もいつもこんな感じだった。
近くの本棚には、見慣れないタイトルが並んでいる。積んだままの、いちばん上に置かれた本を手に取ってみた。
案の定、会計関係の書籍だった。日商簿記の三級は手に入れた琉威だったが、ページを開けばまだまだチンプンカンプンな領域ばかりだ。諦めるように元の位置へと戻しておく。
改めて本棚を眺めると、会計や営業関連の他には、心理学や哲学の書籍も目立っていた。
(へぇ…? こうしてみると、人の趣向ってわかるもんだなぁ)
入りきらない本は横にして隙間に無理矢理入れ込んである。ここにも彼らしい一面をみつけて、琉威はつい笑ってしまった。
「面白いものでもあった?」
寝室の入り口から声がかかって琉威が振り返ると、飯嶋はスウェットの上下へと着替えて部屋へと入ってきた。
「本の置き方が、飯嶋部長らしいなって思って」
そう話したら、飯嶋は顔を顰める。失礼だったかと琉威はつい反省したが、
「部長じゃなくて、友」
琉威が指摘した事ではなく、彼の呼び方が不服だったようだ。
「ユウ、さん?」
琉威は咄嗟に、『さん』付けで読んでみた。
「いや、友でいい。オレも琉威がいいし」
「はい。…友」
言い直したら、飯嶋にはなぜかプッと笑われた。
「ハイも変だな。二人きりの時くらい、タメ口でもいいだろ」
(いやぁ、でも、仮にも新入社員と部長なんだし…)
躊躇っていたら、飯嶋の顔がムッとしてこちらを見下ろす。言うまで許さないといった顔つきだ。
「うぅ…うん。友」
「よし!」
飯嶋は琉威の頭をワシャワシャとかき混ぜた。せっかくキレイに乾かしたのに…と、琉威はちょっと残念に思う。髪を手ぐしで戻していると、飯嶋がまたクスリと笑った。
「なぁ、琉威?」
飯嶋は琉威を抱き寄せながら、耳元へと囁く。
「もしオレのことが怖くなったら、殴っていいから」
「何ですか、それ」
何かの冗談かと思って顔をみれば、その顔は思いのほか真剣だった。
「オレは、本当は怖い男なんだぞ」
「………」
それは男として狼でということだろうか。それならば琉威だって男である。
飯嶋にそうは言われても全く怖いとは思えなくて、琉威は見下ろす彼へと眉を寄せた。
「信じてないだろ」
「…だって、どう信じろと…」
琉威を抱きしめる腕は遠慮がちだった。飯嶋は、意を決したように話しだした。
「オレはあの時の奴と同じなんだ。今までだって、あんなふうにバーで出会った人としか、付き合ったことがない」
バーで知り合って、セックスして、しばらく付き合っても別れるの繰り返し。飯嶋はまともに長続きしたことなど一度もなかった。
飯嶋自身は心から信頼した相手と付き合いたいと思っていたが、寄ってくる男はセフレを望む奴らばかりだった。
自分が軽い人間だと周囲に思われている事には重々承知しているが、飯嶋にとって“信頼できる恋人”とはもう憧れに近い存在となっていた。
だから、琉威のような真面目な人間に、愛想を尽かされるのが正直怖かった。
しかし、琉威から出た言葉は、飯嶋を更に驚かせた。
「でもそれは、相手が軽すぎただけなんじゃないですか?」
こんなに真面目な人、なかなかいないのに…と、琉威は顔を上げて当然のようにそう呟く。その目もとは、先ほどよりもだいぶ腫れも落ち着いていて、真摯な眼差しをしていた。
飯嶋は、自分のことを決して軽く思わない琉威が、愛しくて愛しくてたまらなくなる。
「琉威…」
琉威には、人の性質を見抜く力があるのだろう。
確かに琉威の望む営業という分野も、人を相手にする仕事としては向いているのかもしれないが、やっぱり琉威は押しに弱い面が強すぎる。営業という仕事には致命的だった。それならばいっそ、専門的な道へと進んだほうが本来の性にもあっているように飯嶋には思えた。
自分の目標とはズレた位置に置かれるその辛さは、飯嶋もよく解っているつもりだ。自分だって、営業職が嫌でこそなかったが、進みたい道とは明らかに違っていたのだから。
「なんで、お前にはわかっちゃうかなぁ…」
琉威の首筋に顔を埋めるようにして抱擁すれば、
「もっと、知りたいくらい」
と、そんな甘い囁きが琉威から聞こえて、飯嶋に一歩踏み出す勇気を与える。
「オレだって知りたいよ、お前のこと」
顔を埋めたまま、飯嶋は彼の首筋へと吸い付いた。吸っては離れてを何度も繰り返して、その唇は琉威の唇をも吸い付いていった。
慣れない感覚を受け入れつつも、琉威はそのくすぐったくもフワフワとした心地の中に、甘い疼きを感じ取っていく。
「ゆ…、う…」
慣れない呼び方で彼を呼べば、耳元に「なに?」と優しく返される。琉威はのぼせ上がりそうな気分だった。
ベッドに伏せられて、琉威のパジャマがせりあがる。垣間見えたその腹部は、細いながらもそれなりに引き締まっていた。胸は呼吸をするごとに緩く上下を繰り返してゆく。
飯嶋は滑らかそうなその腹をひと撫ですると、そのままパジャマの中へと手のひらを滑らせた。胸の突起を親指が撫でる。
「……うん…っ」
耐えるかのような声が琉威から上がった。
「怖かったら、オレを叩いて」
まだそんなことを言いながら、飯嶋は琉威から漏れた吐息を塞ぐようにキスをする。
「ふ…、あ」
こじ開けるようにしてその舌を捉えると、琉威は切なそうに目を細めた。
普段の飯嶋からは感じられない、少し獣じみた視線が琉威の鼓動を煽り立てる。頭に響く甘い痺れも、飯嶋から与えられる感覚は全てが琉威にとって初めてのことだった。
手慣れた手つきが、琉威の首筋から背中へと滑り落ちていく。パジャマのズボンを脱がされて、琉威の膝を割るようにして飯嶋の大腿部が入り込んだ。琉威の膝の裏を掬い上げるようにして片足を持ち上げると、両膝を天井へと広げる格好になる。琉威は自分があられもない格好をしていることに気がついて、顔から火を吹きそうになった。
「あ…っ、ゆ、ゆう…」
不安が先行してしまい、言葉が続かなかった。飯嶋が今から何をしようとしているのかくらい、琉威でも判る。
しかし、琉威の片足を掴んだ手が僅かに震えていることに気がついて、琉威は目の前の彼を驚きつつも見上げた。そこには、少し眉を顰めながらも切なげな顔をした飯嶋が、琉威を見下ろしていた。
「琉威、…怖い?」
そう呟く飯嶋のほうが、怖がっているような顔をしている。
「ううん。全然怖くない」
琉威は自然とそう口からでていた。とにかく、飯嶋を安心させてやりたかった。
飯嶋はホッと表情を緩めて琉威の後ろの穴へと指を立てる。ぬるりと入りこんだ指を、琉威は窮屈そうに締め付けた。
「琉威、深呼吸、して」
切れ切れになってしまう琉威の呼吸を整えるべく、飯嶋はもう片方の手で彼の肩を撫でる。
「…ふっ、う…」
息を深く吐いて身体の緊張が緩んだと同時に、飯嶋の指は更に中へと入り込んだ。
ヒヤリとしたジェルが足されて、今度はもう一本の指も入り込む。流石に琉威はびくりと身体を強ばらせた。
「大丈夫。ムリにはやんないから、安心して」
宥めるようにしてその指は優しく中で蠢いた。
突然、彼の指が琴線に触れたかのようにして、琉威の身体が跳ね上がった。
「ぁ…?!」
見つけたそこを、飯嶋は優しいまでの指使いで丹念に擦り上げていく。
「んぅ……っ、ゆ、ゆう…っ!」
苦しみとは明らかに違う声が、琉威の口から漏れ出た。その声音は次第に甘い響きへと変わっていく。
「あっ、ああ…っ、ゆう…ゆう…っ!」
何度も飯嶋の名前を呼ぶ。呼べばこの熱から助けて貰えると、本能のように琉威は彼を呼び続けた。
胸をそり返らせて、腹の上では限界を迎える琉威のモノを、飯嶋は反対の手で握り込んだ。
「アッ! ダ…メ、…っ!」
飯嶋の手に促されるようにして、琉威は我慢できずに吐精させた。
深く深呼吸を返す胸へと愛しげに触れて、飯嶋はやがて息を整える琉威の唇へとキスをする。
(オレだけが、イッたの?)
確認するべくユルリと視界を巡らせると、そこには今度は両手で自身のモノを握る飯嶋がいた。
「……っはぁ、…っ」
大きな背中が吐息を吐いた。自身を慰める姿は、ひどく色めいて琉威の瞳に映る。
「ゆ…う…」
琉威は力なくそんな飯嶋を見上げた。
手を伸ばそうにも、どうにも力が入らない。
何もできない自分がひどくもどかしく思えてならなかった。
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