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6.笑顔の裏側
気がつけば琉威はまた、目尻に涙を浮かべていた。
「ど、どうしたのっ?」
ハッと我に返った飯嶋が寝転んだままの琉威を覗き込んだ。
「い…嫌…だった…とか…?」
飯嶋はその声音すらどこか怯えているように響く。
「うぅん。…すごく、気持ち良かったし…」
恥ずかしがりながらも、琉威はただ目の前の不安そうな男を安心させたくて、なんとか自分の気持ちを伝えようとした。
「だったら…どうして泣いてるの?」
どこかほっとした顔を覗かせながら、一緒に肩の力も緩めて、飯嶋は泣いてる子を諭すように理由を問いかけた。
「オレも…友のこと…、よくしたかった…」
琉威は言い切りはしたもののあまりにも恥ずかしすぎて、ゴロンと身体を返すと顔を枕へと押し付けた。しかし、裸だったために今度はお尻を飯嶋へと晒してしまうことになる。
飯嶋はそのあまりの可愛さに、思わずプッと吹き出していた。
「そんなの気にしなくてもいいって」
横で不貞腐れたように枕へ顔を埋める琉威は、飯嶋のそんな言葉にも納得がいかないようだ。飯嶋はまたクスッと笑うと、
「じゃあー、次は琉威のココで気持ちよくさせてくれる?」
そう言って、顔は隠しても隠しきれないかわいい琉威の尻へと指を添えた。
途端にびくりと琉威の尻が揺れる。
「友…!」
枕から顔を上げた琉威の頬は、飯嶋の想像通りにやっぱり真っ赤に膨れ上がっていた。
気にしなくてもいいと言って、飯嶋はそれ以上のことを琉威には要求しなかった。きっと気遣ってのことだろうが、琉威には彼がまだ何かに怯えているように思えてならない。だからか、琉威もそれ以上、彼へと踏み込むことができなかった。
それでも飯嶋のことはできるだけ理解したくて、何をするでもなく隣で眠りに就こうとする飯嶋を眺め入る。
ふと、積まれたままの書籍が目にとまり、琉威は気になってそれを尋ねた。
「友は今まで、どんなを資格をとったの?」
枕を抱えてごろんと横を向くと、身体が安定して話しやすかった。琉威は両腕で枕を抱きしめる。本当は飯嶋へと抱きついていたかったけれど、それはまだしていけないような気がしてしまう。彼に対して、どこか遠慮してしまっていた。
「うーん…経理分野だと、日商簿記にビジネス会計、それからBATICくらいかなぁ」
営業に関係する資格もいくつか取得したが、大学では経営学を専攻していたからそちらの方が得意だと飯嶋は話した。
琉威はそこで菅野専務から聞いた話を思い出して、また疑問に思っていたことを尋ねてみる。
「じゃあ、どうして初めは営業部だったんですか?」
次々と琉威の口から出てくる彼の疑問にも、飯嶋はひとつずつ丁寧に答えていった。
「オレはもともと経理部志望だったんだ。でも、周りに営業のほうが向いてるとか色々言われてさ」
確かに、これほどコミュ力のある人間を営業に置かないのは、それだけでも会社の損失とみなされそうだ。営業部志望だった琉威とは、真逆の立場にあるといえた。
でも、やりたい分野に就けないというもどかしさは、ふたりともが同じだったのかもしれない。
「なら友は、今はちゃんとやりたい仕事に就けたんだね」
それが飯嶋の望みなら、琉威にとっても喜ばしいことだ。
「いや、うーん…」
飯嶋は少し考えてから、口を開いた。
「欲を言うなら、経営のほうに携わりたいってのが本音だな。ある意味、菅野が目標なのかも」
あいつは同僚ながら凄いんだと、飯嶋は話し始めた。菅野も同じ営業部出身だったが、出来が良すぎて今では会社の根幹にまで携わっている。更に最近では、かわいい恋人も捕まえての順風満帆なんだとか。
「かわいい恋人だけは、オレも捕まえたんだけどね!」
ねーっ、と笑いかける飯嶋は、いつもの軽い調子に戻っていた。
琉威のことを恋人といいつつも、そんな飯嶋にはどこか距離を感じてしまう。軽い話し方と相まって、それが上っ面だけのように見えてしまうせいかもしれない。この飯嶋が、ただの上っ面だけの人間ではないことは、琉威も十分すぎるほどに理解している。それが、彼の淋しさの裏返しなのだと、確信は持てないながらも琉威にはそう思えてならなかった。
「友なら、できるよ」
琉威の本音を呟いてみるが、やっぱり心は晴れなかった。
(オレはまだ、信用されていない。この人に…)
どれだけ励まそうと、彼の胸にはまだ響かないのかもしれない。
今の飯嶋は、飼い主に愛想を尽かされないように一生懸命に尻尾を振るペットのようにも見える。
(この人に愛想が尽きるだとか、そんなの、有り得ないのに)
どうしたらそれを信じてくれるのだろう。
飯嶋が、近くても遠い存在のように感じられた。
目の前の彼へと腕を伸ばそうとはするものの、枕を握りしめるその腕を琉威はどうにも緩められずにいた。
ーーまた、琉威が泣いている。
そんな夢を見て、飯嶋は目を覚ました。
現実の琉威は、飯嶋の隣でぐっすりと眠ったままだ。飯嶋はホッと胸を撫で下ろした。
時刻は午前三時をまわっている。中途半端な時間に目が覚めてしまったらしい。
かわいい寝顔をみせる琉威を眺めながら、飯嶋はそんな彼に触れたくなる。
(琉威にはもう、気づかれていそうだな)
飯嶋は、琉威を失うのが怖かった。
ずっと探していた自分の心の拠り所は、飯嶋にとって琉威そのものでしかなかった。
それに気がついた時は、ちょうど琉威が変な男に言い寄られていた時だ。
好きになった相手を誰かに盗られるのを、これほど恐れたのもあの時が初めてだった。盗られるくらいなら、力づくででも手に入れてしまいたい程の衝動にさえ駆られてしまっていた。
でも、それでは自分もあの男と大差ないのだろう。むしろ同類なのだと、自身に知らしめられた気分だった。
だから、あんなに身体を震わせて怖がっていた琉威に接するのが、正直怖いとさえ感じてしまった。もし拒否されたならば、自分はこの先どうやって生きていけばいいのかさえわからなくなるほどに。
次の日も目を腫らして出勤してきた琉威が気になってしまい、飯嶋は一日中、仕事も手につかなかった。
部下の津田には早々に見破られてしまい、世話焼きなタイプなのか琉威を飲みに誘ってみるからと、普段は真面目な彼が残業すら飯嶋に任せて行ってしまった。
今朝の琉威を見れば、昨日がどれほど辛かったのかも一目瞭然といえた。それは同時に、嫉妬深い自分へと向けられた戒めであるかのようだった。
でも琉威は飯嶋を怖くないと言い、それどころか飯嶋に嫌われるのが怖かったのだと言った。その言葉には救われたけれど、やはりいつ彼の愛想が尽きてしまうのかまでは誰にもわからないというものだ。
この心に空いた穴を埋めてくれる存在は、琉威ただ一人だけだ。他には何も要らないから、どうか離れないで欲しい。
そう願っていたら、飯嶋は知らず自身の顔を両手で覆ってしまっていた。
「友…?」
隣で寝ていたはずの琉威が、心配げな表情をして起き上がると、飯嶋のその大きな背中へと手を回した。泣く子をあやすようにして、トントンと背中を叩く。
「どうしたの…?」
前とは反対の立場で、琉威はやんわりと問いかけた。
「お前が…オレから離れてくんじゃないかって、…不安でさ」
言うつもりなんてなかったのに、飯嶋は目の前の優しい恋人へと本音をこぼしていた。
「バカだね、友は…」
何をバカなこと言ってるの?と笑って言いたかった琉威だったが、思わぬ飯嶋の本音が聞けて、胸の内から込み上げてしまう。まるで、飯嶋の辛い思いが伝播したかのようだ。
「友…。先のことなんて心配しないで」
琉威はこらえながらも、どうか伝われとその背中を抱き寄せる。
飯嶋は琉威の言葉を心の中で反芻した。
この先のことなど、まだ何も決まっていないのだ。
でも今、自分には何が必要なのかだけは飯嶋にもはっきりとしていた。
「オレには、琉威が必要なんだ」
「…うん。おれだって同じ。友が必要」
今はこれが真実なのだから、この先もきっとそれは続いていく筈。
やっとそう思えて、飯嶋は自分より小さなその身体を両腕で抱きすくめた。そうすれば二人の距離が更に縮まったことを、何となくも実感できた気がした。
琉威もまた、近くなった恋人へと、やっとの思いで身体を擦り寄せる。
自分よりも大きくて弱い恋人へと、琉威は見上げるようにしてそっとキスをした。
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