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7.共に
「飯嶋部長って、なーんか最近、チャラさがなくなってきたよね」
「うんうん、それがまた良いっていうのかぁ」
そんな会話を耳にして、女性陣の観察眼は本当に侮れないものだと琉威は実感していた。
飯嶋は確かに変わってきていた。
自身の淋しさを隠すが如く、今まで覆われたていたその笑顔が消えたわけではなかったが、その根源となっていたものが薄れていったせいかもしれない。
琉威はそんな彼を女性陣とともに盗み見ていると、近くに座っていた津田と目が合った。津田には先ほど、居酒屋でのお礼を言ったばかりだった。
津田はクスッと笑って、書類を手に席を立ち上がった。
「飯嶋部長、確認お願いします」
津田は取りまとめた書類を部長の席へと持っていくと、その書類へと目を通す飯嶋をすぐ横で待った。その間に、津田はコソッと先日の話を飯嶋へと振った。
“で、その後はお二人とも大丈夫でしたか?”
“うん。もう、バッチリだってぇ! 慧兎君にも菅野にも感謝してるよ”
コソコソと何かを話す二人の姿は、更に女性陣の噂話を拗らせる結果となっていく。
「やっぱりあの二人って、怪しいよね…!」
「やーん! 道ならぬ恋ってやつー?」
「しー!! そのネタやばいってぇ」
当人たちには聞こえてはいないが、女性陣の向かいに座る琉威にはしっかりと聞こえていた。
そんな昼時の社内での話を、琉威は飯嶋と待ち合わせたバーで当人に話して聴かせたのだった。
「ホント勘弁してほしい…聞かされる身にもなって下さいよ…」
「まぁまぁ、いーじゃん。それはガセなんだし? 人の噂も七十五日ってね」
飯嶋は、相当参っている様子の琉威へと、あっけらかんと話す。そんなふうに軽く流そうとする飯嶋へと、琉威はついでにとばかりに文句を続けた。
「それに津田さんって、会社では友の“女房役“なんて言われてるんですよ」
飯嶋の仕事の全般的なサポートを、それはもうテキパキと的確にこなしている。その点はさすがに琉威ですら妬けるというものだった。
嫉妬の挙げ句、不貞腐れたような顔をした琉威に相当焦ったのだろうか。飯嶋は頭を掻いて、
「あー、それな…。慧兎君は他にちゃんと付き合ってる奴いるから」
と、驚きの新事実を語った。
(えっ?)
琉威には意外な話だった。津田は確かに整った顔立ちなうえ、かわいい顔をしてる。当然、彼女のひとりくらいいてもおかしくはないだろう。
しかし、彼と日常的に会話をする琉威には、津田にそんな相手がいるなど思いもよらなかった。彼の場合、とにかく女の影が全く窺えなくて、本人はずいぶんと家事慣れしているのだ。ついこないだのランチ時の会話は、肉じゃがの美味しい作り方だった。
「へー。今度、どんな子か聞いてみようかなぁ」
気配り上手なあの津田の彼女となれば、一度は会ってみたいと思ってしまう。
「…会社では、聞くなよ」
ぽそりと釘を刺すように付け加えられて、琉威はなんで?と首を傾げる。でも、仕事中にプライベートを詮索されるのは津田も嫌がりそうだと考えを改めた。
ちょうどママの仕事がひと段落ついたのか、ママは琉威たちの座るカウンター席の前へとやってきた。
今回このバーに来ることになったのは、先日の件でママにも謝罪したかったのと、飯嶋とのことを報告したかったからだった。
「それにしても、丸く収まってよかったわねぇ。やっぱり似たもの同士が一番お似合いよ」
二人を祝福するように、ママは嬉しげにそんなことを言う。そういえば最初会った頃にも、ママはそんな話をしていたと琉威は思い出した。
「オレたち、そんなに似てるかな?」
飯嶋は興味が湧いたらしく、どの辺が?と話を掘り下げていく。
「そうねぇ…。二人とも、アタシに淋しいよぉって、泣きついてくるところかしら?」
「えっ、ちょっ…泣きついてなんかないだろ?!」
「えー? 泣いてたわよぉ、えーんえーん!って」
ちょっと動揺するようにして飯嶋は前のめりに立ち上がる。冗談だろうに何をそんなに焦っているのかと、琉威は隣にいる彼へと笑っていた。相談役のママにとっては、二人は可愛い子供みたいなものなのかもしれない。
そんな二人の拠り所となっている店を出ると、酔い醒ましも兼ねてしばらく街中を散策しながら帰ることにした。
賑やかな夜の繁華街を、たわいのない会話をしながら二人で歩いていく。
ふと、前を歩く飯嶋が何を思ったか立ち止まって振り返った。
「あのさ…。琉威が営業部に行きたいなら、すぐにはムリだけど話をつけてみようか?」
突然、飯嶋はそんなことを言い出した。急な話に驚いて、琉威は思わず「えっ?」と言葉を返す。
「だって、やりたいんだろ? 営業」
飯嶋はもともとが営業部だから、人材に関しての話も通しやすい方だ。琉威が本当は営業部に行きたかったという話を聞いてからというもの、飯嶋はそのことがずっと気になっていた。
琉威には自分の管轄する部署のほうが性格的にも合っているとは思うが、できることならば琉威が望む道を用意してやりたいのが本音だった。
本当の本音は、ずっと側に置いておきたいのが山々ではあるのだが、そればかりは飯嶋も胸の内へとしまい込む。
琉威はそんな飯嶋の本音など知る由もなかったが、きっぱりと否定していた。
「…いいえ。今は、経理のことも少しですがわかってきて、意外に奥深い仕事だなって思えてるんです。ここにいたいです」
「…そっか。なら、いーんだけど!」
飯嶋は、ホッと安堵する。やっぱり仕事だろうがいざ手放すのを覚悟してみると、目の前の琉威が惜しくてたまらなかった。
「だったら次の資格にでも、挑戦してみるか?」
そんな独占欲を隠すかのように、飯嶋は提案した。
「うん。友が教えてくれるなら、頑張る」
そう素直に答えた琉威は、飯嶋の目にはとても健気で可愛らしく映り、自分ももっと上へとあがりたいとさえ触発される。
はやく菅野と肩を並ばせたい。
飯嶋は、以前、菅野から言われた言葉を脳裏に思い起こした。
『頭のカタイじいさん達を蹴落としてやるから、お前は自分でこっちへ来い』
なんだかんだ言いつつも、今回の異動だってちゃんと飯嶋のためにもお膳立てをしてくれているのだ。なのに、まだまだ実力のない自分がもどかしくてならなかった。
飯嶋は、はぁと大きくため息をこぼした。琉威のお陰で、しばらく忘れかけていた夢を思い出せたようだ。
(お前といると、オレも頑張れそうだ)
「琉威」
名前を呼ばれて琉威が目を上げると、飯嶋は片手を差し出していた。琉威がその手を取ると、彼はやんわりと笑んでそのまま握り込む。
気持ちの良い夜風がそよぐ中、お互いの温もりを頼りに歩いていく。たとえこの手が離れたとしても、二人の心には確かな温もりが残されるだろう。
そんな小さな温もりを育てるかのようにして、二人は手を繋いだまま、騒がしいまでの夜の街を寄り添いながら歩いていった。
本編おわり。
次のページからは二人の番外編になります。
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