- 番外編 - 飯嶋×琉威(前編)

1/1
前へ
/9ページ
次へ

- 番外編 - 飯嶋×琉威(前編)

「飯嶋部長ー! 忘れ物です!」 「あー、はいはい。慧兎君、ありがとー」  そんな飯嶋と津田のやり取りを耳にしながら、琉威はせっせと本日の業務をこなしていた。  バタバタとした足取りで、飯嶋は幹部たちの集う会議室へと向かうべくフロアを出て行く。その残されたデスクの上を、津田が小さく安堵のため息を吐きながら片付けていた。さすがは飯嶋の“女房役”と言われるだけのことはある。同時に、津田もきっと気の休まらないタイプだろうと琉威は内心思った。 (ここまで気が回るんだから、津田さんの彼女は果報者だなぁ)  琉威は曲がった背筋を伸ばすべく、うーんと大きく伸びをした。こういった仕事はなかなか外出することもなくて、身体が鈍ってしまいそうだ。飯嶋は時々ジムに行ってるようだから、自分も行ってみようかななどと考えたりした。  一時間ほどで会議が終わったのか、ゾロゾロと人の出入りが往来し始めた。同時に昼休憩を報せる鐘が鳴る。  こんな時間くらいは外へ出ようと、琉威もその人の流れに乗ってエレベーターへと乗り込んだ。 《琉威!》  コソッと話しかけられながら、肩をツンと突かれる。狭いエレベーターの中なため、視線だけそちらへと向けると、飯嶋がニコッと笑いかけていた。 (友だ)  名前は心の中で呼んでみる。飯嶋はエレベーターから出ると同時に小さく手を上げて出て行った。連れの人がいたようだった。同じ階でエレベーターを降りたその相手は、琉威も知っている営業部の部長だ。  飯嶋よりも少し背が低くて、琉威よりは高めの、少々クールな印象を持ったイケメンタイプの男性だった。それがただ、すれ違うだけなら何の疑問も抱かなかったのだが、その彼がチラリと流した視線がやけに鋭くて、琉威は威嚇されたような気分に陥ってしまった。 (えっ、オレなんかした…?)  ついそんなふうに考えてしまった。  もしかして、琉威がもともと営業希望だった件を飯嶋から聞いたのかもしれない。それでもそんな視線を送られる理由がわからなくて、琉威はただ首を傾げるしかなかった。     今日は帰りに飯嶋とバーで待ち合わせをしている。  琉威は津田から受け取れる仕事がもうないことを確認すると、お先ですと言い残してフロアを出た。  エレベーターへと向かおうとしたところ、出てすぐの休憩室から飯嶋に呼ばれる。琉威は何だろうとそちらへと向かった。 「悪い…ッ! 今日の予定、キャンセルしてもいいかな?」   ドタキャンで申し訳ないと飯嶋は謝ると、急な食事会が入ってと理由も話した。 「同僚から相談を持ちかけられてさ」  その言葉に、昼時に見かけた営業部長のことを思い出した。 (あ、あの人…?) 「そうですか…。はい、わかりました」  と、一応笑顔だけは向けておく。  今日は金曜日だから、そのまま休日も飯嶋と過ごせるのではないかと楽しみにしていただけに残念ではあったが、琉威は仕方ないと頭を切り替えた。  帰りに夕食をひとりで簡単に外で済ませて、必要な食材を買い込む。街中をぶらぶらとしながら帰ろうとした。  バーの近くまで来て、そういえばママから聞きたいことがあったことを思い出した。ママの顔だけ見て帰ろうと、琉威は店へと足を向ける。もう少しで店の前に着くというところで、偶然にも飯嶋が店から出てきたところだった。 「ゆ…」  驚きながらも声を掛けようとしたその時、バーからもう一人、友の後に続くようにして店から男が出てきた。 (あれは…)  覚えのある顔だった。 「あ、…営業部長ーー」 (え、なんで? あそこは…)  あの店から出てくるということは、営業部長もそういう人で、だからってどうして飯嶋が営業部長と一緒にいるのかと、琉威の頭は混乱を極める。  半ば立ち尽くす形で、琉威はその光景を眺めるしかなかった。楽しそうに二人が会話をして歩いて行く姿を見つめる。  飯嶋もやがて、そんな彼に気がついた。 「えっ、琉威…?! なんでここに…」  続いて、隣に居た営業部長を琉威に見られたことで、しまったといった表情をみせた。 「あ、ちょ…っ! 琉威!」  反射的に琉威は逃げ出していた。買った食材すら投げ出して、その場から無我夢中で走りだしていた。 (なんで営業部長が? なんで、そんなに困った顔をするんだ?)  いろんな可能性を頭の中でぐるぐると巡らせる。 (営業部長とは、以前から…あそこで…?)  飯嶋は過去にセフレじみた付き合いを繰り返していたと言っていた。  思考の行き着く先は、“疑い”しか残らなかった。 (セフレ…)  その言葉だけが、琉威の心へといつまでも重くのしかかった。  最後に飯嶋を見た時、何か言いたそうにはしていたが、琉威はスマホの電源を切って外界からの通信を全てシャットアウトした。琉威には今、他の情報を受け取る余裕など持ち合わせてはいなかった。  今の飯嶋が、以前のようなセフレじみた付き合いを継続していたとは未だ信じ難いところだったが、飯嶋のあの困った顔が頭から離れなかった。  それに、飯嶋とはまだセックスの上でも本番にまで至っていない。それが琉威を更に不安にさせた。 (本当のことなんて、知りたくない…)  知ったところで琉威は、いまさら飯嶋を諦めることなどできそうもないのだ。  泣いてしまったせいで、頭がガンガンと痛んでいた。痛み止めがあったのを思い出して、琉威は薬箱からそれを取り出して水で流し込んだ。何も食べていないから後から胃が痛むかもしれなかったが、先の自分の体のことまで構っていられなかった。とにかく頭が痛かった。  けれど薬が効いてきたおかげか、痛いながらも少しばかり熟睡できたようだった。  リビングから響くチャイムの音で、琉威は目を覚ました。  ぼうっとした頭のまま、チャイムの鳴ったエントランスのモニターを確認する。  モニターには飯嶋が映っていた。 「は…い」  現実に引き戻されながらも、琉威は覚悟を決めてモニターの通話ボタンを押した。すると、画面に映った飯嶋が、はっと顔を上げてカメラへと身を乗り出した。 『琉威…! 頼む、…話がしたい…』  力ない声だがそれは切実に聞こえて、琉威はエントランスゲートのロックを解除した。しばらくして玄関のチャイムが鳴る。  琉威は黙ってドアを開けた。  捨てられた犬のような顔をした飯嶋の顔が、琉威と目を合わせたとたんに少しだけ明るくなる。 「入ってもいい、かな?」  遠慮がちに言う飯嶋が、少しだけ可笑しく思えた。  飯嶋をリビングへ通して、琉威はお茶の用意をする。顔色の良くない琉威へと、飯嶋は心配そうに尋ねた。 「風邪でもひいた?」 「ううん。ちょっと頭痛があったくらい。もう楽になったよ」  もう大丈夫だと伝えると、飯嶋はほっと安堵の色をみせた。どちらかといえば、琉威よりも飯嶋のほうがひどく疲れている様子だ。  ふと、先ほどのモニターランプが点滅を続けていることに気がついて、琉威はまさかと飯嶋を振り返る。 「ゆう、…いつから来てたの?」 「あー…。来たり戻ったり、かな」  誤魔化していたが、飯嶋は何度も時間を置いてインターホンを鳴らしていたようだった。 「お前のスマホ、繋がらなかったから、気になって」  俯きながら頭をクシャクシャと掻く仕草は、飯嶋の困った時の癖だ。 「たぶん、誤解してるなって」 (誤解…?)  琉威はスマホの電源を入れる。すると着信が十件と、メッセージが数件届いていた。 「誤解って、なに…」  そんな言い訳じみたことは聞きたくもなかったが、飯嶋との関係を続ける理由がまだあるならばと、琉威は勇気をだして問い返してみた。 「宮崎…あ、営業部長の宮崎な? あいつに相談されて…ママの店を紹介したんだ。あいつならハッキリしてる性格だから、勝手に相手を見つけられるだろうと思って」 (……んん?) 「ちょっと、待って? 営業部長、ええと、宮崎部長に紹介…って、え? 何で友がママに紹介? あ、相手って??」  情報量が多すぎて、処理しきれない。 「じゃあ…宮崎部長はあのバーには、初めて…?」  それでも、少しでも理解できた部分から琉威は問い返した。 「そうだよ。たぶんお前、宮崎のことセフレだとでも思ったんだろう?」 (う……) 「じ、じゃあ…何で友が宮崎部長をママに紹介することに?」  琉威は更に疑問を問いかける。 「それにはいろいろと、事情があって…」  飯嶋は言いにくそうに口をもごつかせながらも、おずおずと語り始めた。  その事情とは、飯嶋が新しくできた恋人のことを同僚の宮崎へと自慢しまくったことが、そもそもの発端らしい。  宮崎とは、お互い性の悩みも同じだったため、勘のいい宮崎にはさっそく飯嶋の相手が部下の琉威だとバレてしまったそうだ。 (もしかして、あのエレベーターでの、あの時に?) 「…それで、友に店を紹介して欲しいと…?」 「ママは店の中で取り持ちって言うのか、橋渡し的なこともやってて、ママの目利きなら信用できると思ってさ」  バーには変な奴も多いから、宮崎には極力安全なルートを紹介したかったと話した。 (安全なルート…)  それには琉威も納得してしまった。一気に力が抜けてしまう。リビングに置かれた二人掛けのソファーへとドサリと沈み込んだ。 「はやく…言ってくれれば…」  安堵なのか、疲れなのかわからない大きなため息が琉威の口から吐き出された。 「だって、お前の電源切れてるし」 「…ごめんなさい」  素直に謝る琉威を、飯嶋はしょうがないなと頭を撫でつけた。 「でも、よかった。琉威が信じてくれて」  もし信じてもらえなかったらと、飯嶋はやはりそちらが気がかりだったようだ。  琉威はまた反省するしかなかった。飯嶋と決裂してしまうくらいなら、このまま知らずにいたいと願うほど、“セフレ”の存在は受け入れ難かった。そもそも、そうじゃなく初めから信じていれば良かったんだ。信じられなかったのは、琉威が自分を見下げていたからでしかない。 「はぁ、疲れた…。もう…お風呂入ってくる…」  琉威は疲弊した表情で、ふらふらとバスルームへ行こうと立ち上がる。 「待って! オレも、一緒に入りたいっ」  飯嶋はバスルームへと行こうとする琉威へと飛びつくようにして背中から抱きついていった。  
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

325人が本棚に入れています
本棚に追加