T-1

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T-1

 角張中学校の備品譲渡会は、5月の第3日曜日、午前11時からだ。  4月に寮の部屋替えがあり、筧さんとは別室になったけれど、約束通り俺も連れて行ってもらえた。筧さんのお兄さんの浩輔(こうすけ)さんが運転するミニバンに、筧さんと山田先輩、そして俺が乗る。片道2時間半のドライブの間、車内はサッカーとグラビアアイドルの話題で盛り上がった。 「譲渡品は体育館に並んでいるって。俺達はシンに従うから、翼は絵をゲットして来いよ」 「お目当て、手に入るといいね」 「ありがとうございます!」  浩輔さんは俺達を降ろして、グラウンド内の臨時駐車場に向かう。父の通った角張中学校をじっくり見たかったけれど、まずは目的を果たさなければ。受付を済ませて体育館に入ると、既に30人くらい来場していた。棚や顕微鏡などに人気が集中しているらしい。先輩方も実験器具を獲得するために駆けていった。改めて見渡すと、絵画は奥の壇下に立て掛けられている。  あれは――!  1つだけ、輝いて見えた。今の俺より若い――記憶の中の面影に重なる父が、教室の片隅から半身を捻り、こちらに視線を向けている。その絵の額縁に手を伸ばしている男性がいた。 「あのっ、その絵……」 「え?」  振り向いた男性は、俺を見留めるとあからさまに固まった。 「柳井(すばる)?」  俺の顔から視線を外さず、男性は父の名を呟いた。ドクン、と心臓が震えた。父を知る、この男性(ひと)は……誰だ? 「昴は、俺の父です」 「ええっ……」 「俺は、柳井翼といいます。その絵、亡くなった父がいつも話してくれた箕尾先生の作品なんです。あなたが先で、権利があるのは分かっていますが……どうか譲ってもらえませんか。お願いします!」  深々と頭を下げる。疑問のポップアップが次々浮かんで止まらないけれど、それよりなにより、この絵を手に入れることが最優先だ。俺が……俺の元に取り返すのが、運命なんだから。  男性は、すぐには答えなかった。快諾してもらえるとは思わないけれど、迷っているなら希望はあるんだろうか。不安がどんどん膨れて……沈黙が重い。 「条件があります」  思わず息を飲んだ。金か? 対価に、なにを要求するつもりなんだろう。 「僕は箕尾圭人(よしひと)、この絵の作者の甥で、中学校で美術教師をしています。僕に、あなたの肖像画を描かせていただけませんか」  緊張の糸がフツリと切れて、顔を上げた。なんだって? 俺の、肖像画? 「そんなことで、いいんですか?」  口にして、しまったと思った。これは承諾の返事だ。いや、この絵が手に入るなら、俺の絵を描かれるくらい構わないんだけれど……この人、今、『箕尾』って名乗らなかったか? 確か『作者の甥』とも……。ああ、ダメだ! 情報と疑問が渋滞している。 「ええ。まずは、お茶でもどうでしょう……多分、互いに聞きたい話が沢山あるはずですから」  『箕尾』と名乗った男性は、なぜか嬉しそうに瞳を細め、照れ臭そうな微笑みを浮かべた。穏やかで紳士的な態度に、警戒心が解れるのが分かった。安堵で頰が緩む。 「あの……俺、ここには1人で来たわけじゃなくて、だから、その」  俺も、聞きたいことが山のようにある。だけど、先輩達と別行動することは出来ない。 「じゃあ、後日改めて、連絡してもらえますか? ひとまず、この絵を預からせてください。大切に保管しておきます」  彼は手帳を破ると、ボールペンを走らせてこちらに渡した。名前と連絡先の番号が、クセのある右肩上がりの細い文字でサラリと書かれている。 「分かりました。必ず連絡します」  なぜ、初対面のこの男性の言葉を全面的に信用したのか、今でも分からない。それでも、もしまた同じ場面に遭遇したら、きっと同じように信じて、俺からコンタクトを取るだろう。この絵が――父と箕尾先生が、俺達を引き合わせた。それこそが多分、運命だったのだから。
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