それでも、最後が幸せだった

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「ここはどこだ」 「何も見えない」 俺は、難病ベーチェット病に侵されていた。徐々に免疫が落ち、最終的には視力が完全に失われてしまう。本当に酷い病気だ。 毎日の様に、目が見えなくなる夢を見る。 恐ろしい事だ。視力が奪われると、可愛い孫の顔が見えなくなる。他はどうでもいい。 「何故俺が」 「ふざけるな」 毎日思う。適当に生き、人に迷惑をかけ、それでも健康な奴がいるじゃないか。嫌になる。 多分、孫がいなければ自殺していただろう。病気が悪化し、2回ほど死線を彷徨った。いい事を教えてあげる。「死後の世界はあるよ」 俺は何回も見ている。 1回目は、向こうに坊さんが立っていた。気持ちが良くなり川を、渡ろうとしたら、後ろから死んだ親父の声がした。「いっちゃだめだ」 「諦めるな」 だから、俺は渋々来た道を戻った。 ゆっくりとね。しばらくあるくと、突然穴に落ち、気がつくとベットの上にいた。 2回目は、お釈迦様がいたな。ようやく死ねると喜んだ。絶食や治療が辛かったから。前の様にゆっくり歩いた。これまで感じた事のない恍惚感だった。 「まだ、ダメだ」 お釈迦様が喋った。 「お願いします」 「そっちに行かせて下さい」 何回も頼んだが、ダメだった。 仕方なく来た道を戻った。突然何かに引っ張られた。気がつくと俺は病院でメシを食べていた。 メシは美味しかった。絶食2週間の後だったから。元気な人にはわからないだろう。もっとも家族は驚いていたが。 俺は高校を卒業し、夜間の大学に通った。親からはI円も仕送りはもらっていない。昼間は働き大学の学費を稼いだ。建築を専攻した。一級建築士になりたかったから。 大学を卒業し、地元の建築会社に就職した。今では考えられないだろが、酷い指導を受けた。鉄拳制裁も何度も受けた。そのおかげで、実力がついた。自分でいうのも何だが、同期では、ナンバーワンだった。 とにかく、仕事が好きだった。まだ先輩の補助だったけど、時々会う客の笑顔が、たまらなく好きだった。 だから頑張ったよ。他の誰より。 社会人になって4年目に妻に出会った。お見合いだけど。美人ではないが性格が気に入った。2人の日々は幸せだった。孤独だった俺に光をくれた。 休みの日には、よく海に釣りに行った。美味しい店も必死でさがして、食べに行った。 結婚して、2年目に子供が生まれた。 男の子だ。秀と名付けた。頭が良くなる様に。可愛くてしかたなかったよ。 毎日、顔を舐めまわした。まあ、嫌がっていたけどな。 「あなた、やめなさい」 「いいじゃないか」 「気持ち悪い」 「わかった」 こんな会話はしょっちゅうだ。俺は妻には逆らえなかった。女は強い。叶わないよ。 秀とは、よく遊んだ。鬼ごっこや、カルタとか。頭が良い子供でな。運動神経も良かった。とにかく、強いんだ。 「秀こっちだ」 「パパわかった」 「早く」 「うん」 すぐに捕まえられてしまう。 秀の成長は俺の成長だった。 少しずつ、成長していく姿を見るのが幸せだった。 秀が3歳になると、ある程度、言葉を話す様になった。 「パパ遊ぼう」 「パパお風呂入ろう」 とりわけ、風呂が好きだったな。 俺に似たのかな。 秀が4歳になると、スポーツに興味を持った。特に野球にだ。 俺が熱狂的な巨人ファンで、いつもTVをつけていたから、好きになったんだろう。真似して応援していたな。 「原、打て」 「クロマティ打て」 その姿が愛おしかった。 4歳の誕生日に、野球版を買ってあげた。1人で遊んでいたな。毎日2時間くらい。この頃から、仕事が忙しくなり単身赴任をする様になった。 家に帰るのは、2か月に1回くらい。 秀はとても寂しがった。なんでも、俺の汗の付いたタオルを、いつも首に巻いていた様だ。 「パパの匂いがする」 「パパの匂いがする」 そう言ってな。ほんと俺は幸せものだ。俺は家族の為、命をかけて仕事をする、、、と誓ったんだ。 仕事では係長に昇進した。部下ができ、やりがいが増した。教育は大変だ。新しく入ってくる奴は挨拶も出来ない。酒の量も増えたよ。たまに飲みに連れて行っても、愚痴ばかり。まあ、可愛いいけどな。 妻は、パートを始めた。農協のレジ打ちだ。今まで、子育てばかりだったから、良い気晴らしになっている様だった。 俺は仕事で認められて課長になった。 課長になると、それなりに責任がある。建てた家に不備があると、クレーム対応に回る。 「どうなってるんだ」 「申し訳ございません」 日常茶飯事。一日中クレーム対応の日もある。 俺は、現場に出れない苛立ちから、妻ともケンカする様になっていた。 「もっと美味しいご飯つくれよ」 「何だ、この飯」 妻との距離が広がった。秀との会話も少なくなった。 仕事に集中しすぎると、家庭がダメになる。わかっていても、バランスが難しい。俺は器用じゃないから。 課長になり全てが変わった。だが変わらないもの。それは仕事への情熱だ。 負けらない。他の誰にも。 課長になり、2か月経つと余裕が出てきた。妻との仲も改善し、秀とも以前の様に話ができた。やはり家族が1番大切だ。 秀は日に日に言葉を、覚えていった。 保育園で覚えるらしい。 「めっちゃ」 「なまら」 とか言ったりする。 俺は、そんな秀を前よりも、深く愛した。目に入れても痛くないくらい。 やがて秀が小学校に入る頃、2人目が生まれた。和と名付けた。本当は女の子が欲しかたが、上手くいかないものだ。2人目ができ、ますます仕事に精がでた。 部長になった。給料も跳ね上がった。そんな時だった。ベーチェット病が悪化したのは。40度を超す熱が出て、死線を彷徨った。臨死体験というやつをした。亡くなったばあちゃんに会った。 「まだ、きてはいけないよ」 「行きたいよ」 あまりの辛さに、川を渡ろうとした。 すると、地面が裂け意識が戻った。 家族が周りにいた。どうやらまだ生きているらしい。俺は結局、3か月入院した。仕事も課長に降格になった。 どうすれば、いいのかわからなくなった。 病気は、悪くなる一方で、仕事も休みがちになった。毎日イラついていた。 子供達だけが、救いだった。秀は野球に興味を持ち始めていた。時々、キャッチボールをした。思ったより、筋がいい。秀が小学校3年生になり、少年野球に入団させた。ユニホーム姿はなんとも誇らしげだった。 「父さん、キャッチボールしよう」 「おう」 毎日キャッチボールをした。 驚くほど、肩がいい。俺も運動神経には自信があるが、負けてしまう。 秀が小学校5年生になると、キャッチャーのレギュラーになった。 仕事の合間を縫って試合を見に行った。 「こっちこいー」 元気な声が飛び交う。秀のチームの名前は「ガッツベアーズ」決して強くはない。この日も、0:10で負けていた。 子供のチームが負けるのは辛い。 でも、一生懸命やっていた。それだけでいい。秀も盗塁を2回も刺していた。ヒットも打った。立派だ。 試合が終わると、皆泣いていた。 「お疲れ様」 「よくやったぞ」 みんな、頑張った。 単身赴任する事になった。自宅には月に一度しか帰れない。秀は六年生、和は一年生になっていた。妻に子育てを任せっきりになるのが、辛かった。でも俺は少しでも、お金を稼ぐしかなかった。 秀は少年野球のキャプテンになった。俺は仕事が忙しく、結局、試合を一回しか観に行けていない。悔しかった。 新しいグローブを買ってあげた。 時々、自宅に電話した。 「秀、野球はどうだ❓」 「チームをまとめるのが大変だよ」 秀は俺に似て、神経質だ。キャプテンは大変だろう。妻に聞くと、仲間が言う事を聞かず、酷く悩んでいるとの事だった。力になりたい。でも、自宅には戻れなかった。秀が1人で乗り越えなければならない壁だ。辛いが見守るしかない。 俺は、秀の少年野球最後の試合を見に行った。 「こーい」 秀の声は、チームの誰よりも輝いていた。試合は、2:3で敗退。でも立派だった。「ありがとうございました」 チーム全員が、整列し挨拶する。スポーツはいい。勝ち負けは二の次だ。 秀の試合の後、また病気が悪化した。1か月の入院となった。入院ばかりで、職場では俺の立場は危うくなった。仕事を途中で任せる形になってしまうから。全くこの身体は、どうなっているのか。 秀が中学生になった。本人は野球部を希望していたが、チームの素行が悪いとの事で、妻が阻止した。秀は結局、吹奏楽部に入った。俺は口出しする事が出来なかった。給料も1番良い時の半分くらいになっていて、発言権がなかったんだ。 秀は野球部に入れなかったことで、少し変わってしまった。髪の毛を染め、不良と付き合う様になった。気持ちはわかる。好きな物をやらしてくれなかったら、誰でもそうなる。 秀は変わったな。俺との会話も、めっきり減った。野球部に入れてあげればよかった。でも、もう遅い。思春期にやりたい事が出来ないのは、辛いよな。全部俺が悪い。 俺の病気も、悪くなる一方だった。働いている時間より、病院にいる時間の方が長くなっていた。もう、限界が近づいていた。 ただ、家族の為に働き続けた。死期が迫っているのを感じても。 秀が中学を卒業した。 卒業式に参加した。秀は学級代表としてあいさつした。 「3年間ありがとうございました、高校生になっても、がんばります」 号泣した。立派になった。 秀が高校生になった。この頃になると、俺は病院で、ほとんどの時間を過ごした。悔しいがベーチェット病は手強い。秀は意外にも、高校で吹奏楽部に入った。 秀の成長と、反比例して俺の身体は、弱っていった。 秀が高校3年生になると、俺は長期の入院をする事になった。秀は毎日、学校帰りにお見舞いに来てくれた。 「父さん、大丈夫❓」 「父さん、大丈夫❓」 毎日聞いてくれた。ありがたい。生きたい、そう思った。 だけど、俺は、もう働く事が出来なかった。退院すると、左半身の自由が奪われ、デイサービスに通う事になった。初めは全く馴染めなかった。だけで、1週間ぐらい経ち、1番居心地がいい事に気がついた。周りのみんなが、俺と同じ様に、苦しんでいる人だからだ。やっぱり、同じ苦しみを抱いている人に、1番話がしやすい。 女の人にいい寄られた時は、少し困った。手を握られた。久しぶりにモテたな。 1番、幸せだったかも、しれない。全ての苦しみから、解放された感じがした。デイサービスは、いつしか俺の安らぎの場所になっていた。 秀が、高校3年の時、俺は高熱を出して病院に担ぎ込まれた。 意識を失った、、、、、、、、、 「父さん大丈夫❓」 「あなた、大丈夫❓」 遠くから聞こえた。 川の向こうには、死んだはずの、親父の姿があった。これが、死か。 俺は必死に肉体に戻ろうとした。でもなにかの力に跳ね返された。 そして、心臓が止まった。 「父さん、いやだよ」 「あなた、逝かないで」 俺は、川の向こうのオヤジのもとに、導かれた。これで楽になれる。 いや、幸せだったよ。 秀、ありがとう。 妻、ありがとう。 和、ありがとう。 俺は、天国から、お前らの成長を見届けるよ。何かあったら、助けるから。 きっと、君たちなら、大丈夫。 また。会おうな。また会う日まで。 バイバイ。
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