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ため息の向こう側
風の通り道になっているベンチに腰掛けると、ペットボトルを差し出された。
「飲みなよ」
冷えた水を喉奥に流し込むと、やっと声が出せるくらいに回復してきた。
「ありがとう」
「好きなだけ飲みな」
八割方飲んでやっと落ち着いてきたので、我に返ってボトルを返した。
露生は何も言わずに残った水に口をつける。明らかに飲み過ぎたと後悔した。
「ごめん」
「いいよ。足りた? まだ汗だくだな、待ってて」
小走りで去っていった露生は、水色の棒アイスを二本持って帰ってくる。
「これ篤雪の分」
冷えたアイスが指先に心地いい。夢中で封を開けて大口でかじった。
口中にソーダの爽やかな味が広がる。今まで食べたアイスの中で一番美味いと思った。
「悪い、後で金返す」
「気にすんなって」
露生はゆったりとアイスを舐めながら海を見つめている。はしゃぐ親子連れの声は遠く、波音ばかりが大きく聞こえる。
全て腹に収めて、ようやく汗が引いてきた。尻ポケットの財布から小銭を差し出す。
「別にいいのに」
首を振って手のひらに押しつけると、熱い体温が指先を掠めていく。露生は財布に小銭をしまって、ベンチに腰を落ち着けた。
「海に行こうって話が出た時、篤雪は暑いの苦手だって言えばよかった」
「そんなことまで気にするな。参加すると決めたのは僕だ。それよりも行かなくていいのか?」
「何が」
「ナンパ」
「興味ないから。ここにいる」
しばらく黙った後、言い訳みたいに付け足された。
「だって嫌じゃん。辛い時に誰にも理解されないで、相手に合わせなきゃならないのはさ」
心の膜を潜り抜けて、真っ直ぐに胸奥に響いた。実感のこもった言葉だ。初めてため息の向こう側をのぞいてみたくなった。
露生は視線を伏せて、自嘲するように重い息を吐いている。
今度こそ間違えないように、落ち着いて口を開いた。
「露生。何かあるなら、僕も君の力になりたい」
見開かれた目と視線が交わった。逸らさずに見つめ返すと、くしゃりと不器用に笑われる。
「じゃあ……どうしようもなくなったら、その時は頼らせて」
「わかった」
会話が途切れて、波の音が鼓膜を揺らした。潮の匂いを胸に吸い込む。露生と一緒なら、真夏の海でもなんとか息ができた。
「ああ、あついなあ、溶けそうだ」
露生は今にも雫が落ちそうなアイスを持て余している。彼は珍しく火照った頬をしながらアイスにかじりついた。
*2*
九月の終わり、篤雪の指定校推薦が校内選考を通過した。
秋から冬にかけて面接、試験と続くが、校内選考を通過した時点でほとんど合格したも同然だ。大学は家から通えるだろうと胸を撫で下ろした。
露生はやはり東京の大学を受験することにしたらしい。胸を突く寂しさを感じないくらい、露生が頻繁に遊びにやってきて救われた。
放課後はクーラーのかかった自室で、彼の苦手な数学について質問されたり、時々ゲームで息抜きする日々が続く。
今までと変わらない関わりの中で、不意に露生が美しく見える瞬間がある。
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