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愛というのは
持ってきたソーダを目の前に置いてやると、露生はのろのろと手を伸ばし一口飲んだ。
「もう駄目かもしれない」
何がだ。辛抱強く次の言葉を待った。
「前から、そろそろ限界近いなって思ってたんだ。元々喧嘩ばかりしている両親だったけど、最近は度を越してきて。ついに母さんが離婚届を突きつけた」
思った以上に重たくて、頷くことしかできない。露生は支えを無くした人形みたいにもたれかかってきた。鼓動のリズムを乱しながらも、熱い体温が伝わってくるのを黙って受け入れる。
「俺はこれ以上どうしたらいいんだ」
両親のことで悩み続けて、仲を取り持とうと足掻いて、そしてどうにもできなかったのだろうか。苦悩が全身から滲み出ていた。
慰めたいが何を言っても嘘くさくなりそうで、口を開けては閉じてを繰り返す。
「どうしてアイツらは、自分のことしか考えないんだよ……」
露生の肩を抱きしめた。俯いていて表情が見えない。泣きそうな声に焦り、衝動的に言葉が口から飛び出した。
「両親を理解できないのはしょうがない。本当に好きだったら、自分のことを犠牲にできるのが愛だと僕は思う」
縋るように抱きしめ返され、ますます腕に力を込める。抱きしめるだけで、露生の悲しみが溶けてなくなればいいのに。
濡れた感触がシャツに染み込んできて、胸が痛かった。
扉の外で新しい曲が流れはじめる頃に、露生は顔を上げた。
「篤雪がいてくれてよかった。学校サボらせてごめん」
「気にしなくていい」
「そんな優しいこと言ってると、また甘えちゃうよ」
「いいよ。露生だったらいい」
やっと目があった。赤く腫れた目尻が色っぽい。
「お前、俺のこと大概好きだよな」
「うん」
「付き合う?」
言われて気がついた。そうか、付き合えばいいのか。そうすれば、露生の心の柔らかいところまで一緒に降りていける。
考えただけで頬に熱が昇る。誰にも踏み込ませない場所で一人苦しんでいた彼の、心の内側に住まわせてほしい。しっかりと頷いた。
「つきあおう。つきあいたい」
「そうしようか」
はにかむような笑顔が可愛くて、キスをしたくなった。露生の話を聞きながらずっと腕や肩をくっつけて、熱い体温を感じていた。
カラオケのフリータイムが終わり、オレンジ色に染まった道を連れ立って歩く。朱く顔を染めた露生が、バツが悪そうに呟いた。
「文化祭、終わっちゃったな」
文化祭のことなんてとっくに忘れていた。露生のことで頭がいっぱいだ。
「家に寄っていかないか」
「うーん……いや、帰る」
「無理してないか」
「してなくはないけど、でも……あそこが俺の家だから」
盗み見た露生の表情は不自然なほど穏やかだった。やるせなさと無力感がじわじわと胸を締めつけたが、無理に引き止めるのは違う気がして受け入れた。
「そうか」
たった数分の道を時間をかけて辿る。ついに家の前まで来てしまった。
「……じゃあ、またな」
「露生」
背を向けて去っていこうとする肩を掴んだ。
「寝る前に連絡する」
腫れぼったい瞼を瞬いて、露生は気恥ずかしそうに笑う。
「うん、また後で」
遠ざかっていく背中を見つめた。完全に姿が消えた後、家の中に戻る。
「ただいま」
「おかえり。遅かったじゃない、友達と打ち上げでもしてきたの?」
リビングの奥から夕飯を作る母親が声をかけてきた。
「まあそんなところ」
学校をサボったことは母にバレなかったらしい。私服を着ているところを見られないように、すぐに二階へ向かう。
部屋の明かりをつけると、本棚の中段に飾られた家族写真が目に飛び込んでくる。写真の中の父は母と篤雪の肩を抱き、満面の笑みを見せつけてきた。
父がかけてくれた団体信用生命保険や学資保険のお陰で、母も自分も住む場所や学費に苦労することなく暮らせている。側にいなくても、今でも愛されていると感じた。
階下から漏れ聞こえる母の鼻歌を聞いていると、無性に露生のことが気になった。さっき別れたばかりなのに、もう会いたくなる。
「……いたっ」
拳を胸の前で握り込むと、左鎖骨の下がピリリと痛んだ。服を脱ぐと、皮膚が薄くなり赤みを帯びているとわかる。
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