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 セピア王国、王国歴八百八十年。セピア王国最大の象徴である、セピアパレスが落城。難攻不落と呼ばれた城は、敵の手に落ちてしまった。  セピアというのは、王国の名前から取られている。白い石造りの城だ。大きな城で簡単に攻め落とされるような城ではない。  なぜその城が落とされてしまったのか。……それは、内部にいた裏切り者の存在によって、容易に敵が侵入できる状況下にあったからだ。  誰も裏切り者の存在に気づくことはできなかったし、全く想像もしていなかった。朽ちていく城、泣き叫ぶ城下の人々。絶望的な状況だった。  この城には、たった一人逃げ遅れた者がいた。皆が逃げ出したはずの城に独りぼっちで。名はヒスイ・セピア。十五歳、セピア十二世の娘だ。  彼女は、自国から敵国に寝返った反逆者によって地下牢に閉じ込められてしまったのだ。彼女が着ていたドレスはズタズタに引き裂かれ、彼女の綺麗な肌は傷だらけになっていた。手錠に繋がれ、光のささない闇の牢で、泣くこともできずに放心していた。  気づけば感情は無機質に、希望は虚無に変わっていた。  彼女は今、何も持っていない。味方も、居場所も何もかもを奪われてしまったから。 「私がなにをしたというんですか?」  目の前が真っ暗になったヒスイ。そんな中、檻の向こうから蝋燭の明かりが見えた。  コツコツと足音が聞こえてきた。一歩ずつこちらに足音が近づいてくる。足音は檻の前で止まった。  暗闇に浮かび上がった顔は、ヒスイがよく知っている人物の顔だった。 「お迎えに上がりました、ヒスイ様」  何度も聞いた声。目の前の人物は、ヒスイの知っている人物とは全くの別人であった。姿は同じでも知らない存在に見える。 (あの人なら、こんなときにわらうはずがない、絶対に) 「誰?」  目の前の人物は驚いたように目を丸くした。 「こんな状況でも落ち着いておられるとは。ここに閉じ込めるよう指示を出したのが誰か、聡いあなたならわかるでしょう」  作り物のような心無い笑みをたたえている。  ヒスイは今回の事件が発覚するまで、裏切った相手の正体を知らなかった。眼前の者は敵であると分かっているはずなのに……未だに真実を認められないでいる。呆然と嘘だ、と……。傍にいて親しかった者がずっと欺き続けてきたのだ。信じられるわけがなかった。かつての姿を知っているから、なおのこと拒絶したくないのが本音。 「鎖に繋がれた私を、どうするつもりなの」  目の前の人物は淡々と答えた。 「一緒に、外に出ていただきます」  ヒスイは何も答えない。 「あなたを人質にするために」  ヒスイは恐怖のあまり言葉も出なかった。なぜなら目の前の人物は鋭いナイフを取り出したからだ。 「鍵を開けて差し上げます」  ナイフは刃を収納できる折りたたみ式のもの。それをしまった後、取り出した鍵で牢を開けた。 「さあ、行きましょう」  続いて手錠も外す。 「……」 「どうされましたか?」  ヒスイは護身用にそっと隠し持っていた術符を目の前の人物に突きつけたのだ。 「それは!!!!」 「そう、上位魔法を打てる術符です」  (一回きりしかつかえないけれど)  一瞬、隙ができた相手にヒスイは強烈な一撃を放った。 「凍りつきなさい! アイスローズ!」  目の前の人物は、足元に現れた氷のバラに動きを封じられた途端、一瞬にして凍りついた。術符は力を使い果たし、消えてしまった。だが、好機。なんとしても、危機的状況から抜け出すためだ。急がなければ。 「早く、逃げなくては」  蝋燭の明かりを頼りに、裸足で冷たい床をペタペタ走った。  階段を必死に駆け上がり、隠し通路に向かう。 「これですね」  石階段に不自然な切れ目がある。切れ目をよく見ると小さなスイッチが隠されていた。  ヒスイはスイッチを押さずに、一回転させた。このスイッチをボタンと間違えると、トラップにかかってしまう。ネジのように三百六十五度回すことにより、隠し通路が開くという仕掛けだ。  それからはしばらく石壁を触って進む、すると。 「あ!」  途中の壁が横に回転したのだ。押せばくるりと戸が動く。間違いなく隠し通路だ。  だが、ヒスイには引っかかることがあった。やけに静かで、誰の気配も無いことが。罠なのか、単に運が良かったのか。  ヒスイに選択を迷う余裕などなく、がむしゃらに隠し通路を進んでいった。  ヒスイは城の隠し通路を母から教えられていたが、実際に通るのは初めてである。狭く多少窮屈さがあるが、細身と低身長と小柄のお陰で難なく移動できそうだ。  回転し現れた隠し通路はぱたんと閉じ、蝋燭以外には一切光源がない。急がないと蝋燭が尽きてしまうかも知れない。  出口の扉を見つけたヒスイは蝋燭を置いて、扉を開けようとした。 「え? 嘘でしょう?」  だが、隠し通路の出口の扉が開かないのだ。唯一城外に続く出口が、どんなに力んでも開かない。鋼鉄の硬く冷たい扉。  引き戸でもなければ、ノブを回して開けるでもない、押し開けようとしても駄目だ。  ゴンッ、ゴンゴン。叩いても反応しない扉。ヒスイは焦った。もし出られなくなったら、と。 「こんな扉、知りません!」  ヒスイは珍しくイライラし、扉の下を強めに蹴った。そうしたら。 「あら?」  なんと、衝撃を受けた扉が縦に回り自動で開いたのだ。殴っても反応を示さなかったのに、こうもあっさりと……。なぜなのかは気になるが、今はそれどころではない。  射し込む光。ヒスイはかがんで扉の下を潜る。 「やった……」  ヒスイは無事に脱出できたのだ。だがまだ安心できない。陽の光に照らされたヒスイは、光がないことの恐ろしさを痛感した。  何とかここまで来たヒスイ、なんとか力を振り絞って立ち上がった。 (早くここから離れて、安全なところへ。なりふりかまっていられない)  だが、幸運は長くは続かなかった。 「いたぞ! 裏切り者のヒスイだ!」  城を見回っている敵国の兵士に見つかってしまったのだ。たった今目が合ってしまった。兵士は今一人だが、あんなに大きな声を出されたら……。  ヒスイは裏切り者ではない。何者かが偽りの情報を広めたのだろう。反逆の発端であるのは先程牢にやってきた者で間違いはない。 「ヒスイ、逃がしはしない」  無言で駆けるヒスイを、兵士は追いかける。若干兵士のほうが足が遅かったものの、ヒスイは慌てるあまり躓いてしまったのだ。 「!?」 「今だっ」  兵士は片手に持った大剣をヒスイに向かって振り下ろしたのだ。 「わっ……アァァァァァァッ!!!!」  兵士は大剣でヒスイの背を切り裂いた。その痛みに立ち上がれないヒスイに、その兵士は躊躇いなく止めの一撃を……  もう声も出ない。動けない。ヒスイはその攻撃を避ける力は残っていなかった。彼女は開いていた目を閉じていき、床に倒れ込んだ。  セピアの世界は暗黒に閉ざされる。  彼女は、死んでしまった。その後、彼女がどうなったのかはわからない。
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