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身体を滑り込ませた扉の向こう側で、ヒュウ、と風の鳴く音が響いた。
「足元気をつけて。
電車の白線の先ほどじゃないけどね、ここの足元は滑るから、まぁまぁ危険だ」と警告を寄越した相手は僕の眼下にいた。
扉をくぐってすぐの光景に驚いて足がすくんだ…
ホームの向こう側とは思えない。
足元は湿った石の階段が規則的に並んでいた。左右の石灯籠の灯りがおぼろげに足元を照らしているが、苔むしたような階段はいかにも滑って転びそうな危うさがある。
暗くて見えない階段の先、下から立ち上る風は湿度を含み、温くもあり、冷たくも感じられた。
かすかになにかの燃えるような匂いがするのは、この先になにかあるのだろうか?どこかで嗅いだことのあるような気もするが思い出せない…
戸惑う僕に目もくれず、前を行く男はまた僕に背を向けて歩き出した。最低限の注意はしたからもう言うことは何もないとでもいうのだろうか?
石段を踏む、ジャ、ジャ、と靴底が砂を食む音が二人の間に不気味に響いた。気がつけば、階段はあと僅かだ。
「着いたよ。ここがあたしの仕事場さ」と声がして、彼はようやく足を止めた。
圧巻の光景に目を奪われて息を呑んだ。
眼の前には瞬く星のように大量の蝋燭が飾られていた。
むき出しで並べられた蝋燭は大小様々で、形も太さも輝きもすべて違っていた。
美しく絵付けされたものもあれば、表面に彫刻のような彫りのあるもの、ギリシャの神殿のエンタシスのような形をしたもの、飾りも色もない地味なものまで様々だ。
蝋燭でもこれほど大量にあると流石にすごい光景だ。
「お手に触れるのはご勘弁を。簡単に消えるようなもんじゃないけどね、事故でも消えたら後で怖い人に叱られるんでね」と、周りの蝋燭に注意するように促して、彼は蝋燭の間に延びる通路のような道をゆっくりと歩き出した。
「あの…ここ、何の場所なんですか?駅の地下ですよね?」
沈黙に耐えきれずに前を行く男の背中に疑問をぶつけた。
僕の問いかけに、彼は少しだけ頭を動かしたが、足を止める気配はなかった。その足取りは迷うような様子はなく、なにか目的に向かってまっすぐに向かっていた。
「あたしはね、君みたいな人を沢山見てきたのさ」と揺れる背中越しに、男が急に話を初めた。
「普通ね、生を諦める人は絶望してるから《鈍っちまう》んだ。でもねぇ、君のそれは《尖ったまま》だ。時々居るんだよねぇ、怖いくらいに《鋭い》人…」
「…はぁ?」
「あたしのお仕事にはその《鋭さ》が必要でね。そういう人との出会いを待ってるのさ。
でもね、沢山の人が集まるこの場所でも、そんな稀有な人に出会うのは本当に稀でね。だから、君に出会えてあたしは幸運なのさ」
「全く意味が分からないんですが…」
「それならそれでいいさ。別に理解しないとできない仕事というわけでも無いのでね。
あたしにできない蝋燭の《選別》と《裁断》をしてくれるなら、あたしに文句はないよ。ちゃんとお礼だって言うさ」
《選別》?《裁断?》
やっぱりこの男の言いたいことは全く分からない。こんな場所まで着いてきたのは間違いだったのだろうか?
会話をするのを諦めて、周りに並ぶ蝋燭を眺めた。
蝋燭は相変わらず様々な姿をしていたが、眺めているとあることに気付いた。
奉納した人の名前だろうか?
どの蝋燭にも根本の辺りに赤字で名前のようなものが記されていた。
その名前がどんな意味を持つのか気になったが、この不気味な男が素直に話してくれるとは思えなかった。
「着きましたよ」という男の声に、蝋燭に向けていた視線を動かすと、彼は終点のように周りを蝋燭の灯りに囲まれた場所で足を止めた。
「この中から、短くしていい蝋燭を君に選んで欲しいんだ」と彼は言った。
「なんで僕が?」と返す僕に、彼は口端を釣り上げるように不気味に笑った。
「だって君、《呪い》たかったんでしょ」
男はさも当たり前のように僕の中のほの暗い感情を言い当てた。
「あのホームを使う人間に《呪い》を残そうとしてた。違うかね?」と、彼はきれいな顔でニタニタ笑いながら、僕を試すような口調で言葉を続けた。
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