御手を拝借

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「あたしはね、この火の灯った蝋燭に触れるのを禁じられているんだよ。 だから、誰かの手を借りて、蝋燭を手に入れるしかないんだ」 「何で?欲しいなら自分で好きなものを選んで手に入れたらいいじゃないですか?」 「ふふ。君は馬鹿じゃないみたいだが、賢いわけでも無いらしいね。知りたいかね?」と言って、男はずっと隠していた左手を僕の眼の前に晒した。  その手を見て息を呑む。その手は明らかに人間のものとは違う、指の短い獣の姿をしていた。 「これでも随分時間をかけて、人間らしくなったのさ。蝋燭を食うたびに、あたしは人間に近づけるんだ。後は左手の分蝋燭が必要なんだよ。  でも、あたしは火の灯った蝋燭には触れられない。それに、適当に選んで、善良な人間を苦しめるのはあたしの業に影響するのでねぇ…まぁ、そういう事」  うっとりとしたように話しを続ける男の左手から視線が動かせない。  この男のいうことが本当なら、この男は人間ではなく、蝋燭を食ってこういう姿になった化け物らしい。そして、今も蝋燭を手に入れて姿を変えようとしているということだ…  頭の中で状況を確認し、あることに気付いて慌ててその考えが正しいか確認した。  周りに並ぶ煌々と輝く蝋燭に顔を近づけて赤文字を確認した。  …知ってる…これも、この名前も…  周りにある蝋燭の半数ほどには僕の知ってる名前が刻まれていた。そして更に驚いたことに、眺めていた蝋燭の一つが幽霊のように、すぅ、と姿を消した。  なんだ?どこに… 「あぁ、その人、所在が変わっちゃったみたいだね」 「…それって?」 「俗に言う転勤とか引っ越しとか、その場に居場所がなくなった人だよ。多分別の場所に蝋燭が増えたはずだよ。うまく逃げたね…」と、彼は興味なさげに答えると、彼は別の蝋燭の前で足を止めた。 「あ、ちなみにこれが君の蝋燭ね」と、彼が指さした蝋燭は途中から色の変わるグラデーションの細い蝋燭だった。  蝋燭に灯った灯りは瞬くように小刻みに揺れながらも小さな輝きを保っていた。  なんかその姿を見るとその頼りない灯りに執着が湧いた。  この気持ち悪い空間で弱々しいがしっかりと輝く蝋燭の姿に心が凪ぐのを感じた。  その直ぐ側にある明るい蝋燭が目に入るまでは…  その蝋燭には、《林 幹生》と名前が刻まれていた。  その名前を見つけて、あの駅のホームで抱えていた仄暗い感情が鎌首をもたげた…  僕が積み上げてきたものをすべて掻っ攫っていった憎い相手…  僕が死にたくなるほど呪いたくなった相手… 「これ…蝋燭をどうするんですか?」と、気が付けば彼の口車に乗ってしまっていた。  男は待っていたとばかりに笑顔を貼り付けると、どこに隠していたのかと思うような大きなハサミを懐から取り出した。 「お決まりでしたら、このハサミで火の点いている先を切って貰えるかな?その下の残った部分はあたしにください。  切った火の着いたさきっちょは名前の上に戻しておくれよ。そうでないと、怖い人にバレてしまうんでね…」  男の不穏な言葉が気になったが、その手からハサミを受け取った。  ズン、と手に乗った重みと冷たさがリアルだ。これで蝋燭を切るとどうなるんだろうか?そう思ったらとたんに怖くなった…  僕の心の中を読むように、彼は僕の中に湧いた疑問に答えた。 「切っても、灯火が消えなければ直接影響は無いからね。急に死んだりしないから安心して。 まぁ、少しばかり、他の人より運がなかっただけの話しかな?」と、とぼけたような彼の返答には不安が残るが、この蝋燭を切ることであの男が困るのならと浅い考えでハサミを握り直した。  恨みが篭っていたからだろう。ハサミの刃が入ると、蝋燭は簡単に切れた。  名前の部分より上を切るように指示されて、残った蝋燭の先っぽを名前の上に乗せた。溶け出した蝋が流れると、短くなった蝋燭は元のようにくっついて、元々その姿だったかのように違和感もなく灯りを灯し続けた。  火に炙られて溶けた蝋が一筋流れて、赤く綴られた名前を台無しにした…
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