御手を拝借

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御手を拝借

《電車が通過致します。白線の内側までお下がり下さい。次の電車は…》  駅のホームに女性の声で作られたアナウンスが鳴り響く。  それは警鐘にしては優しく、気遣いにしては味気ない。  世界に線を引くような段差の手前には、黄色い点字ブロックと白線が命を守るための基準を示していた。  逆に言えば、この先に足を踏み入れさえすれば、このつまらない命と世界とお別れできるのだ…  多くの人に踏まれて色褪せたホームに、革靴の靴底がお別れを告げるように重く響いた。  もう諦めたはずの生を足掻くように、心臓がドキドキと脈を早める。  これから起きようとしてる現実を拒否するかのように頭の中はじんじんとしびれている。  それは身体が僕の意志に反して、身体が生に縋り付こうとしているからだろう…  死への恐怖…  今更、なんだというのだ?もう決めたじゃないか?  再度、自分を奮い立たせて、死ぬのを決めた時の気持ちを思い返した。  毎日頑張ってきたんだ。    社会の歯車として、自分なりに懸命に働いてきたつもりだ。それなのに、日々与えられるのは達成感というものなどではなく、心を削られるような罵声や否定的な言葉ばかりだった。  悪くないと思っていても、頭を下げなければならない。無茶苦茶な仕事でも断れば後がない。勝手に指定された無理な納期を死んでも守らねばならない。  それが大人なのだと、勝手に信じていた…  それでも、そんな生活は長くは続かなかった…  頑張った事はすべて他人の手柄になった…  僕の時間も努力も我慢もすべてが無駄になった…  もういい…もう、いいんだ…疲れたんだ…  恨みを抱えたまま、最後は何らかの爪痕を残してやろうと、死に場所だけは選んだつもりだ。  会社から一番最寄りのこの駅を使う度に、僕の呪いを思い出させるために…  引きずる足で白線を踏んだ。  それに気付いた人の警告と息を飲むような気配を背中に感じながら、現世という地獄を終わらせてくれるはずの鉄の塊に向かって希望を抱いて踏み込んだ。  迫る物体に押された空気を肌に感じるほどの距離…  その瞬間、僕はどんな顔をしていたのだろうか?  電車の運転席の運転手の顔は引きつった顔で歪んでいた。彼も職務を全うしているだけなのに、僕のせいで責められるのだろうか?そうであれば本当に申し訳ない…  こんな終わらせ方しかできないのは、僕を罵った人たちの言う通り、僕が無能だったからかもしれない…
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