開幕 二つの涙

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 ダリアさんが訪れた翌日。暖炉の前で眠っていたヘルが再び顔を上げた。 「アイリス、客人だ」 「僕にですか?」  扉を開けると、結界の外に大男が立っていた。その半歩後ろには二人の兵士が控えている。 「アスター、どうしたんですか?」 「アイリス、久しぶりだな」  フラワ帝国第一騎士団団長のアスター=スターチスが立っていた。多くの人々は魔女を恐れ、忌み嫌っているが、アスターは魔女の理解者であった。だが帝国としては北の大魔女、エリカ様を認めてはいないため、こうして少人数でやってきたのだろう。  僕はアスターを招き入れた。 「今日はエリカ様はいるのか?」  僕が答える前にエリカ様が奥から顔を出した。 「あら、珍しいわね。騎士団長直々にここに来るなんて」 「あなたの力をお借りしたくて参上いたしました」  アスターは恭しく頭を下げた。 「泣き笑い病というのはご存知ですか?」  僕とエリカ様は思わず顔を見合わせた。昨日聞いたばかりの言葉だ。 「先月くらいから、我が帝国の一部で最近流行り始めた病です。症状は名前の通り、泣き笑いが止まらなくなるというものです。でも実際はこれの副作用だとみられます」  僕はアスターから折り畳まれた紙を受け取った。開いてみると、一センチほどの錠剤があった。雫型が刻印されている。 「通称、『ピエロの涙』。服用すると疲労感がなくなり、気分が高揚する。中毒になると泣き笑いを始めるようです」  アスターは調査報告書を睨み付けた。一度深呼吸し、こちらに視線を戻す。 「庶民だけでなく、貴族にもこれの依存症患者が出ています。貴族院が機能しなくなっており、政治もままならない状況です。庶民にこの事実は伏せていますが、それは時間の問題」 「私にその特効薬を作れということかしら」 「はい。ですが、それだけでなく、これが人間だけの仕業かどうか調べてほしいのです」 「それって魔女が関係しているということですか?」  僕が思わず口を挟むと、アスターはゆっくり頷いた。 「原材料がどうも特定できないんだ」  魔女は人間より数は少ないものの、数人だけしかいない訳ではない。人目につかないように生活していたり、ダリアさんやエリカ様のように影で人間の生活に貢献していたり、人間のふりをして町で生活していたりと様々だ。そして大魔女の共通点として、薬の調合が上手いことが挙げられる。腕に差はあれど、人間とは比べ物にならない知識量があるのは確かだ。 「同じような状況が隣国のフェルス王国でも起きていると聞きました。ついにフラワ帝国にも……」  僕の言葉に、アスターは再び大きく頷いた。 「どこかの国が、フラワ帝国の国力を落とそうとしているんだろう。クスリを蔓延させれば、剣を交えずして有利に立てる」  エリカ様は僕から『ピエロの涙』を受け取ると、奥の研究室へ入っていった。  僕が出した紅茶をアスターが飲み終える頃、エリカ様は研究室から出てきた。 「あなたの予測通り、これはどこかの魔女が一枚噛んでるわね。でも、これの製造には多くの人間も加担しているはずよ」 「はい。蔓延のスピードを考えると、それなりに量産されているはずです。工場やばら撒いている組織がないか、こちらでも調べているんですが……」 「見つからないんですか?」  アスターは苦虫を噛み潰したような表情で僕を見た。 「俺たちは帝国の騎士団だ。騎士団が町を闊歩しているときに、クスリを撒く悪人どもが動くと思うか?」  騎士団や憲兵は帝国内の不穏分子を取り締まるために、日々目を光らせている。剣を携え、兵服を着た屈強な男たちの前で、堂々とクスリを売り捌くわけがない。おそらく非合法な店や集会でばら撒かれているのだろうが、騎士団員がそんな店に行くことは許されていない。 「俺たちは幼い頃から騎士としての教育を受ける。つまり、所作に独特の癖があるんだ。庶民の格好をして潜入しても、すぐ勘づかれる」  騎士団という輝かしい立場が、悪い状況に対抗できないのだとアスターは説明した。 「で、その潜入に適役なのがアイリスだと言いたいわけだな」  それまで黙って話を聞いていたヘルが立ち上がり、こちらに移動してきた。 「え?」  僕が驚いてアスターを見ると、アスターは気まずそうに視線を逸らした。 「正直、宮廷に裏切り者がいる可能性があるから宮廷内の人間は信用ならない。騎士団も今回は役に立てない。庶民もどこまで犯罪に加担しているかわからない。その点、アイリスは確実にシロだ。護身術程度の魔法も使えるから、適任だと思っただけだ」  どうやらヘルの言ったことは本当だったらしい。  僕も『ピエロの涙』が誰によって作られ、どう広められたのか興味がある。なにより、クスリによって廃れていく人々を見たくない。薬は使い方によっては毒にもなる。薬は人々を救うために正しく使うべきだ、と幼い頃から教えられてきた僕は、『ピエロの涙』の存在を黙認することなどできなかった。 「僕はアスターの力に、人々の力になりたいです」  エリカ様は目を閉じて考えている。僕を危険な目に合わせる可能性を捨てきれない以上、簡単には頷けないのだろう。嬉しさを感じながらも、僕はもう一押しするために口を開いた。 「エリカ様に与えられた力を、正しく使わせてください」 「いいでしょう。でも条件があるわ」  エリカ様はヘルに視線を移した。 「俺が一緒についていこう。アイリスを守護するのが俺の役目だからな」  アスターはほっとしたように表情をゆるめた。 「ご協力感謝します、エリカ様。アイリスとヘルもな。こちらでもできる限りの協力をする」  人里から離れた静かな屋敷の中で、潜入計画の実行が決定された。
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