15人が本棚に入れています
本棚に追加
📚2
「へえ、豆塚くん。レコードプレーヤー持ってるの? 今度聴きに行ってもいい?」
「うん、いつでもいいよ」
まあ元彼女に買ったやつだけどね。役に立つなら何より。
笑顔になった目の前の立川さんを見て、ぼんやりと守斗は思う。
たぶん、これは脈があるやつだ。
カフェテリアで弓弦と同じ学部だと話しかけてきた女子だけど、自分の方ばかり気にしている。このままうまくいけば、二ヶ月後の誕生日も独りで過ごすことはなくすみそうだ。彼女と別れてから埃を被っているレコードプレーヤーも、無駄にしなくてすむ。
隣にいる弓弦といえば、ふたりの会話にはまったく興味がなさそうに、やっぱり本ばかり読んでいる。
しかし気になるのは本よりも、口元にくわえているパックジュースだ。さっき売店で買っていたやつ。
「なあ、弓弦。それで昼飯のつもり?」
「んー……」
相変わらず視線は本から離さない。
ちらりと表紙を見ると、時代物の服を着た女性が描かれていた。これはどうやら恋愛ものなのか。
今朝は確か表紙に宇宙船が描かれていて、SF小説っぽかった。彼は本が好きみたいだが、読むジャンルにはこだわっていないようだ。
「いくら一日に必要なビタミンの三分の一が摂れるって書いてあっても、それだけじゃ食事にならないだろ?」
「お金ないし」
本代に使うからだろ。守斗は心の中で突っ込みを入れて、自分の弁当箱の中の唐揚げを箸でつまみ上げた。
「弓弦、こないだだって貧血で倒れただろ。ほら。食べな。口開けて」
言い返す方が面倒だと思ったのか、彼は言われるままに口をあけた。その中に、唐揚げを放り込む。
昨日の夜に、ふたり分作っておいたやつだ。実は、先週末にいつも使っていた弁当箱の、ふたまわりは大きいものを買い直した。
弓弦の昼食があまりにも雑なので、弓弦に弁当の中身を半分くらいは譲るつもりで作った。
「おいしい」
にこっと微笑まれて、守斗の心臓が跳ねる。
「もっと食え」
弓弦は素直に従って口をあけた。母鳥のエサを待つ、雛のような警戒心のない動き。
守斗は楽しくなって、せっせと弁当箱の中身を運ぶ。
「ありがとう」
食べ終わると、また弓弦は微笑んだ。
(こういうとこちゃんとしてるよなあ)
その時、弓弦の持っている携帯電話が鳴った。
「はい」
弓弦は電話を抱えて少し離れる。段差につまづいて、少しよろけてから体勢を立て直した。
あいかわらず危なっかしい。
「あいつ、ほんとにしょうがないよなあ」
「豆塚くん、秋田くんと仲がいいんだね」
電話をしている弓弦を眺めながら守斗が言うと、ぽつりと立川さんが呟いた。
仲がいい。
そう言われると、なんだか得意な気持ちになる。野生の雛鳥を、手懐けたのは自分みたいな気持ち。
「あー、そう、かな」
「お母さんみたい。大学生なんだから、ほっとけばいいのに」
「だってあいつ、俺がいなきゃそのうち死んじゃいそうだから」
立川さんはため息をついた。
「重傷だね」
「何が?」
言われた意味がわからなくて、守斗は問い直す。
「豆塚くんの秋田くん愛が」
「はい?」
「まあ、ほどほどにね。じゃあ私、次五号館だから」
立川さんは立ち上がって肩をすくめた。
わけがわからない。守斗が言われた意味を尋ね返そうと思って口に出す前に、立川さんは手を振って言ってしまった。
入れ違いで、弓弦が電話を片手に戻ってきた。
「あー、まあいっかぁ」
そう呟きながらも、弓弦は少し、困っている表情だ。
「どうした?」
守斗が尋ねると、弓弦は苦笑した。
「実は、僕の部屋、一昨日からガスが止まっちゃってて、業者さんに電話したんだけど、週末は来れないみたいで」
「え、風呂とかどうしたの」
「水?」
「ちょっと待て。今もう十月だぞ。暑い日があるからって」
「うーん、まあ僕が料金払い忘れてたのがいけないんで……」
「週末、うち来る?」
「え?」
「だって、そのままじゃ風邪引くだろ」
「いいの?」
「別にいいけど……、予定ないし」
そう言いながら、週末の予定を思い出そうとした。確か、合コンで会った女子から映画に誘われていたような。まあ、予定が空いてたらとか、まだそんなにはっきりした予定じゃなかったし、別の日にしてもらえばいいだろう。
「ほんと?」
「うん。うちにある本を読んでもいいし」
「あ、やった。守斗くん、百年文庫シリーズ、絶版のやつも全部家にあるって言ってたよね」
「ああ、まあ」
それを揃えたのも昔の彼女のためだったが。こんなところで役に立つなんて。守斗は心の中で元彼女に礼を言う。
「じゃあ、お邪魔しようかな?」
そう言われるとわくわくする。誰かが来るのはいつだって嬉しい。
「じゃあ、夕飯は弓弦の好きなものにしようか。何がいい?」
「え? 守斗くんごはん作れるの?」
「作れるっていうか、ずっと作ってるし。弁当も自炊だよ」
母親はほとんど家にいなかったのだから、家事は全部守斗の仕事だった。
お母さんみたい。立川さんが言ったことを思い出す。
やっぱり、自分はちょっとそうなんだろうか。むりやり押しつけられたみたいなものだから、あまり嬉しいことではないのだが。
「すごい! じゃあえっと、ハンバーグ!」
「任せろ。得意料理だ」
「やった!」
子供みたいな笑顔。それを見ると、どうしようもなく胸が弾んでしまう。子供のころ、珍しく母親が家にいた日の夜みたいに。
最初のコメントを投稿しよう!