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 守斗がスーパーで夕食の買い出しをしている間、弓弦はかごを持ってついてきたし、食事の準備も片付けも手伝ってくれた。 「ハンバーグに卵乗せる?」  守斗が尋ねると嬉しそうに頷いて、彼は卵を受け取った。  難しい顔をして卵をフライパンの角で割っている。 「『卵は世界だ』、……熱っ」  意味のわからないことを呟きながら、フライパンの上の卵白に混じってしまった殻を、素手で回収している。不器用だなと思ったが、こんなに長い時間、隣に本を読んでいない弓弦がいるのも珍しくて、守斗はなんだか嬉しかった。  ひたむきに本を読む彼を眺めているのも嫌いではないが、誰かと食事をするのも彼女と別れて以来だ。そばに会話をする相手がいるというのは、いいものだ。  守斗が風呂から上がると、弓弦が床に落ちていた。床に敷いたラグに転がったまま本を読んでいる。  途中でめんどくさくなったのか、守斗が貸したパジャマのボタンは三つしか止まっていない。  ちらりと見えた胸元が意外に引き締まっていることに驚いた。いつも適当な服を着ているが、ちゃんと体に合う服を着こなしたら、きっと女子にモテそうだ。本人はそんなことはまったく気にしていない様子で、髪の毛もだらしなく濡れたままだが。  ボタンの止まっていない襟元から伸びたその首筋を見ていると、なんだか変な気分になってくる。自分の指先で触れて驚かせたいような。自分が触れた、彼の反応を見てみたいような。  いや、そんないたずら、小学生でもあるまいし。 「風邪引くぞ?」  濡れた頭の上に乾いたタオルを落とす。彼の隣に座り込んだ。 「うーん、ここめっちゃ気持ちいいね。守斗くんもおいでよ」  弓弦は床に敷いた毛足の長いラグが気に入っているようだ。彼は片手を本から離して守斗を誘うように広げた。 (しょうがないな)  守斗も隣に寝転がる。左頬にラグの毛がぶつかって、猫でも抱えているように気持ちがいい。 「確かに気持ちいいな」 「でしょ?」  目が合った弓弦は自慢げに言って微笑んだ。  ちょっと恥ずかしくなって、彼の手元にある本に目をやった。本の帯にに書かれていた一文に目がとまる。守斗の視線に気がついて、弓弦が読み上げる。 「『鳥は卵から無理に出ようとする。卵は世界だ。生まれようとする者は、ひとつの世界を破壊せねばならぬ。』」(注1)  弓弦の落ち着いた声が耳に心地よい。  さっき、卵を割ったときに卵と世界がどうのこうのと言っていたのは、この文章を思い出していたのか。弓弦はそのまま、本をラグの上に置いた。読書は中断でいいのか。 「ほら、髪乾かすぞ」  弓弦の頭に乗せたタオルで彼の髪を擦る。気持ちよさげに目を細めて、頭を乾かされている彼の姿は猫みたいだった。 「あー、快適すぎる……。もうずっとこうやって本読んでごはん出されて面倒みられて守斗くんちで暮らしたい……」  弓弦がしみじみと呟く。本当に猫みたいな生活じゃないか。守斗は苦笑いした。家に帰ったら弓弦がいる生活も、悪くはないが。 「人間なんだから就職しろよ」 「ああ就職……。あんまり頑張りたくないー。もう守斗くんのところに永久就職しようかな?」 (養ってあげてもいいかも)  一瞬チラリとそんな言葉が頭に浮かぶ。いや、養うってなんだ。友達におかしいだろ。 「俺のとこに就職ってなんだよ。まあ、ルームシェアとか、そんなんだったらいいけど」 「えー、マジで。いいの? ほんとにそうしよっかな」 「まあ、その時は家賃割り勘な」  そう言われても弓弦は嬉しそうだった。  守斗は自分で言ったことに驚いていた。  自分は友達は少ない方じゃないけれど、親しい友達はそんなにいない。ルームシェアなんてそんな発想、一体自分のどこから出てきたのか。今まで同性の友人と一緒に暮らすなんて考えたこともなかったけれど、それはそれで、想像してみるとわくわくした。  案外、さっきの思いつきは悪い話ではない。こんなふうにそばにいてくれるなら、一生養ってやってもいい気がする。 「はい、終わり」  ひととおり弓弦の髪をかきまわして乾燥させる。弓弦は髪が乾いたのに満足したのか、また本を手に取った。守斗は改めて本を読んでいる弓弦の顔を眺める。初めての絵本にわくわくしている子供のような顔をしながら、楽しそうに本を読んでいる。  いいな、と思った。何かに対してこんな顔ができるなんて、うらやましい。  自分の顔はわからないけれど、自分はたぶん、いつもつまらなそうな顔をしている気がする。だって、誰かといて楽しいとか、そんな気持ちはずっとなかった。  もうタオルに触れる必要がなくなって、手持ち無沙汰になった自分の指が、弓弦の髪に触れるでもなく触れる。本当に猫を飼っているみたいだ。 「なあ。どうして弓弦は、本を読むの?」
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