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「なあ。どうして弓弦は、本を読むの?」
思わずその言葉を口にしていた。本を読む邪魔をしたいわけではなかったのだけれど。
彼があまりにも楽しそうに、夢中で本を読んでいたので。その理由が知りたかった。
弓弦は本を閉じるとゆっくりと視線を外して、守斗を見つめる。
「他のひとの考えていることを知りたいから」
「え?」
予想外の答えだった。守斗はそんな理由で本を読んだことはなかったし、彼が他のひとの考えを知りたいと思っているとも思っていなかったからだ。弓弦はいつもマイペースで、他の人間のことなんて興味がなさそうだった。
戸惑った守斗の声色に、守斗がわかっていないことが伝わったのか、弓弦は重ねて言う。
「僕さ。小学校のときに、もっと周りのひとの気持ちを考えなさいって先生に言われて。でもほんとにどうしていいかわかんなくて、泣いてたら、兄貴が、『一日一冊本を読め』って言ったんだ。本の中には、他のひとが何考えてるか書いてあるからって。それで続けてるんだ」
小学生の弓弦を想像してみた。確かに、教師にそんなことを言われそうな子供だっただろう。
今だってちょっと、そういうところがある。それでも彼は素直に兄に言われたことを実行しているんだな、と思う。そんな彼はかわいかった。他のひとの気持ちが理解できなくても、理解したいと思って行動していることは好感が持てた。
「そっか。それで本を読んで、周りのひとの考えてることがわかった?」
守斗の問いに、弓弦は頭をちょっと傾けた。
「どうだろ。まだ、そう言われることがあるから。わかってないのかも」
少しからかいたいような、いたずらっぽい気持ちになって、守斗は尋ねる。
「じゃあ、俺が今何を考えてると思う?」
「え……? わかんない。言って」
「え?」
黒目がちの瞳がじっと守斗を見つめてきた。自分に返ってくるとは思わなくて、守斗は慌てた。からかうつもりだったのに、一瞬で追いつめられた。何を言うべきかわからない。
君がかわいい。こんなふうにそばにいてくれるなら、一生養ってあげたい。
そう思ってはっとする。
そんなの、ここで言うべき言葉じゃない。もっといい言葉があるはずだ。彼を励ませるような、何かいい言い方が。
慌てて言葉を探したけれど、それ以外の言葉が思い浮かばない。
「……言えない」
しゅんとした表情になった弓弦を見て、胸が痛んだ。そんな弓弦に、誠実に応えなければいけないという気持ちになる。言える範囲で。
「あの、いや、違うんだ。俺、ほんとのこと言うの、慣れてなくて」
「え?」
「……君と、反対なんだ。いつも、優しいけどそれだけだね、って言われてふられる。なんか、相手に合わせちゃうんだよ、自分がどうしたいのか、わからなくなって。レコードも本もみんな、うちにあるものは俺がほしいものじゃなかったんだ。今までの彼女がほしいとか、そう言ってたものばっかりで」
自分の中にあった言葉をかき集めて、守斗は言った。そういう自分を彼に知られるのは、恥ずかしい。恥ずかしくて泣きたくなった。
弓弦はこんなに、自分のことを言える人間なのに。
自分は怖い。自分の本当の望みを言ったら、みんな自分を去っていくようにしか思えない。
そばにいてほしい、だなんて。子供でもないのに、みっともない。
「僕は、守斗くんのそういうところ、うらやましいけどな」
弓弦は手を伸ばして、守斗の目元に触れた。我慢していた涙がこぼれおちた。
胸が痛い。
子供みたいで恥ずかしい。このままどこかに消えてしまいたい。
そう思ったけれど、彼はやさしく指先で守斗の濡れた頬を撫でた。
「だってほら、僕は周りのひとの気持ちが全然わからないから。言われないでもわかるなんて、すごいよ」
そう言われて、胸がきゅんとした。弓弦は重ねて言った。
「守斗くんがいなかったら、僕は大学に友達がいなかったよ。君が周りに合わせられるひとだから、僕には君っていう友達がいるんだよ、ありがとう」
素直な彼が言うことだから、それは噓ではないんだろう。そう思ったら、鼻の奥がツンとして、さらに涙がこぼれた。
自分が誰かに感謝されているなんて。
それはとっても嬉しい。
「ごめ、……」
弓弦は小さく笑って、その腕で守斗の頭を自分の胸に引き寄せた。温かくてほっとして、ひどく息が苦しい。
だけどおかげで、泣き顔は見られずにすんだ。
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