メインストーリー 第1話

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 それは、翌日のことである。大作は小説のイメージがわかず、イライラしていると背後から女性の声が聞こえたのだ。それは聞き覚えのある間違いなくすみれの声だった。すみれの声が大作を優しくしてくれたのだ。 「昨日は申し訳ありません、今日も木の下にいらっしゃるのですね。」 「確かすみれさんだったね、今日はどうしたの。」 「昨日はろくにお礼も言わず銀行に行って、慌てて帰って来たものですから、 もしかしてここにいらっしゃらないかと思って、来たところです。大作さんはここでいつも何をされていらっしゃるのですか。」 「僕は将来、小説家になりたくてここで小説の構想を練っていました。」 「ところで、構想は出来たのでしょうか。」 「いえ、昨日は途中まで出来ていたのですが、突然思い浮かばなくなったのですよ。」 「どうしてでしょうか。」  大作は恥ずかしさのあまり、会話を彼女の話に切り替えたのだ。 「えっと、すみれさんはどこかの銀行で働いているのですか。」 「沢村銀行です。今、ちょうどお昼時間だったものですから、ここに寄ることが出来ました。」 「銀行の仕事は忙しいのですか?僕は毎朝、新聞配達をしているだけで、配達が終わると何もすることがないのです。」  それに対してすみれは少し早口でまくし立てるように、大作に話したのだった。 「はい、とても忙しいです。でも、小説を書くということは国語力があるということですね。羨ましいです。私は仕事での文章を書くのが苦手で、良く班長から叱られています。大作さんをとても尊敬できます。」 「そんなことはないですよ。僕の家は母と二人きりで、生活が苦しくて大学に進学も出来ないのです。」 「私も実は母と二人での生活なのです。母は体が弱くて私の仕事の収入だけで生活しています。」  大作は幼少の頃から人見知りで友達も少なかった。二十歳になるまでろくに女性とも話をしたこともなかったので、これ以上、彼女に話しかけることは困難であった。彼女もそうなのだろうか、急に黙り込み銀行へ帰っていった。  桜の花が散るのと同じように、大作の心も社交性という言葉があるならば、それが散っていくように思えた。大作には上手く話せない自分に腹立たしさを感じたのだ。自己嫌悪とはこのように思いながら、このような自分の性格を変えたいという想いにかられた。恋愛もした事もないのに、恋愛小説を書こうとしている自分が嫌になったのだったからだ。しかし、それも春になって、野原の花達が咲き始めるのと同様なことが、訪れようとしているとは、この時は思わなかったのだ。  翌日も相変わらず木の下で構想を練っていた。やはり、イメージがわかない。それよりも、すみれがまた訪れるのを期待していたからかもしれなかった。しかし、それは大作にとって杞憂であった。優しい春の風が訪れたのだった。 「大作さん、今日も小説ですか。」  すみれの優しい笑顔が大作を包んでくれた。 「そうですよ。」  大作はそう答えるのが精一杯だった。 「大作さんはどのような小説を書こうとされているのですか。」  恋愛小説を書いていると答えるはずだったけれども、自信も経験すらない大作は推理小説を書いていると答えてしまったのだ。しかし、すみれは大作の消極的な心を見透かしたように、積極的に話しかけてきた。困ったことに小説の内容まで聞いてきたので、大作はしどろもどろに答えるのが精一杯だった。  動揺する大作に対して彼女は優しく微笑んでくれた。大作は恥ずかしい気持ちでいっぱいだったが、すみれのそばにいると、まるで子供の頃に帰れたような気がしたのだ。  春の音は静かに訪れた。
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