第一話 『どうせ負けヒロインなんだし、俺と百合になっても何の問題もないよね!』

1/1
前へ
/30ページ
次へ

第一話 『どうせ負けヒロインなんだし、俺と百合になっても何の問題もないよね!』

「はぁ、終わってしまった……」  俺は少年漫画誌をパタリと閉じ、ため息をついた。  週刊少年スイッチ。毎週水曜日に刊行されるその漫画雑誌の今週号には、俺の好きなハーレムラブコメ「花園の主」の最終回が掲載していた。  「花園の主」。通称「花園」と呼ばれるコスプレ部で衣装制作兼マネージャーの主人公が、五人の美少女コスプレイヤーをマネージメントしていくなかで、恋を育む物語。  主人公、神﨑(かんざき)愛斗(まなと)が最後に選んだのは、多くの人が予想していた通り、正統派ヒロインを多くコスプレし、普段は少しアホっぽい、白鷺蛍(しらさぎほたる)であった。  どうやら俺の推しヒロイン、クール系コスプレを多くしつつも、当の本人はクールからかけ離れた天然あざとい系ヒロイン、蒼井珊瑚(あおいさんご)ちゃんはむくわれなかったらしい。  っと、いかんいかん。我慢できずにコンビニで立ち読んでしまったが、いつまでもここにいるわけにもいかない。  早く購入して、家でまたゆっくり読まねば。  そう思い、雑誌をレジへと持っていき、会計をすませ、コンビニを出る。  夏の強い日差しを感じつつも、ぼんやりと歩きながら帰路につく。そんな時であった。信号は確認した。青だったはず。それなのに俺の目の前には、法定速度を遥かに上回る速度で突っ込んでくる車が一つ。 「えっ……!?」  もう間に合わない。とっさにどうにかしようとしたが、なにも思い付かず、俺は無惨に跳ねられた。  ──え、俺の人生これで終わり……?  即死であったのだろう。痛みなど微塵も感じず、俺は命を落とした。 ◇◆◇  と、思っていたのだけど……。  知らない天井。身体が重い、特に胸が。でも身体に痛みはない。ここは病院だろうか。  起き上がろうとすると長い髪が俺の首筋をなぞった。  ……ん? 長い髪?  俺の髪は、男子のなかでも平均的な長さで、首にかかるほど長くはなかったはずだけど。 「さくらー! そろそろ起きてきなさい! 入学式から遅刻するつもり!?」  階下から女性の声が響く。さくらって誰だ。俺の家族にそんな名前の人はいないけど。っていうか、ここ病院じゃないのかよ。じゃあどこだって言うんだ。それに夏なのに入学式って。  様々な情報が頭のなかを駆け巡る。  部屋中を眺める。間違いなく俺の部屋ではない。っていうか、ここ女子の部屋じゃない!? なんでこんなところに俺が寝てるんだ!?  そう思い立ち上がると、バランスがとれず少しふらつく。なんだか俺の身体じゃないみたいだ……。ん?  ふらつく足元を見ようにも胸が邪魔して見ることができない。  胸……っていうかおっぱい……? しかもかなり大きいのでは。足が見えないくらいだし。 「うぇっ!?」  驚愕によって口からこぼれた言葉は、男の俺からは考えられないほど可愛らしい声で。  確かめるために胸を鷲掴む。うん、すんごい柔らかい。間違いなくおっぱいだろう。おっぱい触ったことないから分かんないけど。  そんな中、部屋の壁に立てかけられた全身を映す姿見を見つけた。その姿見の中に映る自分の姿は。  腰の辺りまで伸ばされたピンクの髪に、たれ目気味のぱっちりと大きな二重の目に、優れたスタイル。  この姿はまさしく──。 「桃井(ももい)……さくら……?」  「花園の主」において、悪役キャラのコスプレを担当するものの、本人は引っ込み思案というギャップが可愛いキャラが姿見に映っていた。  俺が身体を動かすと、姿見の中の桃井さくらも同じように身体を動かす。  俺の頭の中にある単語が思い浮かぶ。  『転生』  それも異世界ではなく現代を舞台としたラブコメ漫画の世界に。  壁には制服がかけてある。「花園の主」の舞台である私立大百合学園高校(しりつおおゆりがくえんこうこう)のセーラー服だ。  ……ちょっと待てよ。俺、この身体で着替えるの? ぬ、脱いで良いのか……?  いや、でも着替えないわけにはいかない。どうやら今日は入学式らしいのだから。  意を決して、パジャマを脱ぎ捨てる。桃井さくらの上半身がさらされる。  上半身裸のまま、制服のかけられた壁まで歩き、制服を手に取った。胸、めっちゃ揺れる。  そして、制服に袖を通し、前を閉めようとすると。 「ひゃんっ」  え、なに今の声。思いがけず口からこぼれた嬌声に俺は驚愕する。多分、乳首だよね。男の時には感じ得なかった奇妙な感覚に、不思議な気持ちになる。  男にもついているものなのにこんなにも感じ方が違うなんて。  男の頃の癖で着忘れていたが、女の身体はどうやら肌着なしでは、このようになってしまうらしい。  それに……、ブラジャーもつけなければ。俺は桃井さくらをノーブラで出歩く痴女にする訳にはいかない。  クローゼットへ向かい、片っ端から開けていく。数分かけてどうにか見つけた肌着、いわゆるキャミソールと呼ばれるやつと、ブラジャーを手にした。  ……やっぱつけないとダメだよな。  でも普通の男子はブラジャーの付け方なんか知らないし。でもノーブラのまま服着ると擦れて変な感じがするし。  おそらく腕を通すところであろう紐の部分に腕を通し、カップを胸に被せ、後ろ手にどうにかホックをかけようと四苦八苦する。  どうにかホックをうまくかけようにもなかなかかからない。そんなこんなでブラジャーと格闘していると、扉の方から声が聞こえる。 「あんたなにしてんの?」  おそらく桃井さくらの母親だろう。今朝の声と同じ声だ。 「あ、えっと……」 「まぁ、なんでも良いけど起きてるなら早く着替えて降りてきなよ。ご飯もできてるから」 「あ、はい……」  母親が階段を降りていく。そのあとすぐに何とかブラジャーのホックがかかった。  なんだかすごい安定感。大きな胸を支えられている感覚も、胸の締めつけも妙に癖になりそうだ。  その上からキャミソールを被り、再びセーラー服に袖を通した。  なんか男の服より丈が短い? 肌着を着てないとへそが出そうだ。 「ふぅ」  一息ついて、パジャマのショートパンツに手を掛け、ゆっくりと下ろしていく。  先程までもいけないことをしてる気分になっていたが、ズボンはなんか背徳感がすごい。  可愛らしいピンクのショーツに、徐々にあらわになる柔らかそうな太もも、細いふくらはぎ。  ショートパンツを脱ぎきり、スカートを手に取った。  おそらく校章だろう、小さな刺繍がついているところを正面にして、スカートに片足ずつ入れていく。  けど、なんだか履いているという感じがしない。腰に布を巻き付けただけという印象だ。それに、丈は短くてパンツが見えそうだし、スカートは女子が履くものという印象があるため恥ずかしい。  歩くとスカートがヒラヒラと揺れて太ももを掠りこしょぐったい。  女子はいつも、こんなに心もとないものを着て外出しているのか、と感心する。  なんとか着替えを終えた俺は、階段を下り、おそらくリビングのものであろう扉を開けた。 「お、おはよう」  目線の先にいる、桃井さくらの母親に挨拶をする。とてもこの春から高校生になる娘を持つようには見えない美貌、桃井さくらと同様スタイルもよく三十代前半のバリキャリといった風貌だ。 「おはよう、さっさとご飯食べちゃいなさい」 「うん、いただきます」  手を合わせてから、食卓に並べられた朝食に手をつける。米に焼き魚、味噌汁といういかにも日本という感じの朝食だ。初めに焼き魚を切り崩し、口に入れる。  ──うっま! これから毎日こんなうまい朝食食えるの!?  魚と米を交互に口に入れ、咀嚼をする。  こんなにうまいんならどれだけでも食べれる、そう思っていたのに、味噌汁に手をつける頃にはもうお腹が一杯になってた。  以前だったらこれくらいの量など造作もなかったのに。これも身体が桃井さくらになった弊害だろうか。  それでも何とかして味噌汁を流し込んで、手を合わせる。 「ごちそうさまでした」  それから洗面台へ向かい、歯を磨いて顔を洗ってから、再び自分の部屋へと向かう。  現在の時刻は八時すぎ。ここから学校までどれだけの時間がかかるのか分からないが……っていうかちょっと待って、学校までの道筋も分からないぞ。これじゃあ学校にいけない。  そんな時、勉強机の上で充電されていたスマホから通知音が鳴る。  スマホを指紋認証で開き、通知画面を見るとそこには、さんごという名前と共に『十分くらいにさくらの家に向かうね』という連絡が来ていた。  さんご、というのは俺の推しヒロイン蒼井珊瑚のことだろう。確か、桃井さくらとは幼馴染みだったはずだし。  え、俺今から本物の珊瑚ちゃんに会えるの!?  胸の高ぶりが止まらない。  珊瑚ちゃんが示した時間まで残り十分もない。俺は急いで残りの準備を進める。  まずは靴下だろう。いや、桃井さくらは確か足を出すのが恥ずかしいからという理由でタイツだったか。  タイツなんて履いたことないしできれば靴下を履きたいが、今まで夏場でもタイツだった子が急に足を出してきたら、珊瑚ちゃんも驚くだろうし、もしかしたら桃井さくらの中身が何者かに入れ替わっていると疑われる可能性もある。  ここは無難にタイツを履くべきだろう。それに、俺は少なくとも以前の桃井さくらを知っている幼馴染みの珊瑚ちゃんと母親の前では桃井さくらを演じなければならない。  まぁ、とりあえずはタイツを履こう。さっき下着を探しているときに場所は分かっていたので、今度は探す必要なく取り出せた。  薄く黒い生地。どちらが前か分からず迷っていると、タグがついているのに気づき、タグが後側に来るように片足ずつ通していく。  最後まで履ききると、これまた今まで感じたことのない奇妙な締め付けが足全体を包み込んだ。  スマホを開き時間を確認すると、もう八時八分を示していた。残り何を持っていけば良いのか分からないが、入学式ということなら、大したものは必要ないだろう。俺はスマホと財布をスクールバックの中に突っ込み、階段を駆け降りた。 「い、いってきます……」  玄関で用意されていたローファーを履きながら小さく呟くと、リビングから母親が顔を出す。 「いってらっしゃい。私も準備できたら蒼井さんと一緒に入学式顔出すから」 「うん」  蒼井さんというのは、珊瑚ちゃんの母親だろうか。幼馴染みということなら家族ぐるみの付き合いもあるのだろう。  俺は頷き、玄関の扉を開く。  外に出ると、ちょうど珊瑚ちゃんもここに着いたところだった。  お団子ツインでまとめた空のように透き通った水色の髪を揺らしながら、珊瑚ちゃんが駆け足で寄ってくる。 「へへ、おはようさくら。あたし達息ぴったりだねぇ」  可愛すぎるだろぉぉ! いやもう、漫画で見たまんまの珊瑚ちゃんだし、俺の顔を覗き込んでにっこりしてる顔面強すぎるし! 「ん? どうかしたのさくら? あたしの顔なんかついてる?」  そう言って珊瑚ちゃんは自分の顔をペタペタとさわっている。もう何をしてても可愛いな。 「え? あ、ううん。なんでもない……よ? お、おはよう」 「うーん、そう? あ、もしかして緊張してるとか? さくら、昔からこういう式みたいなの苦手だもんね。大丈夫、あたしも一緒だからね」  そう言って、珊瑚ちゃんは俺の手を握ってくる。  手、柔らか! あー、まじで珊瑚ちゃん可愛い! それに柑橘系のめっちゃいい匂いするし! これから毎日こんな日常に身をおけるなんて。俺は前世でいったいどれだけの徳を積んだんだ。……いや、まぁ、うん、大したことしてないんだけど。  気持ち悪い考えが脳内を駆け巡る。でも仕方なくない!? 推しヒロインに手を握ってもらえるんだよ!? 「じゃあ、行こっか」 「う、うん」  珊瑚ちゃんが俺の手を引き歩き始める。俺もすぐに珊瑚ちゃんのとなりに並んで、歩き始めた。 ◆◇◆  それから十分ほど歩いて、学校の校門を潜った。ちなみに今も手を繋いでいる。こう、何て言うか、同級生っぽい人が増えてくるにつれて、手を繋いでいることが恥ずかしくなってくる。 「ねぇ……そろそろ手離さない?」 「え? どうして?」 「どうしてって、恥ずかしく……ない?」 「ううん、全然。あ、クラス発表されてる! ほら、さくら。見に行こ!」  珊瑚ちゃんが再び俺の手を引き、クラスが貼り出されている掲示板に向けて走り出す。  俺も慌てながら、走り出す。ブラジャーをつけていても、走ればすごい揺れる。走りにくいし、男の頃のスピードもでない。  それに、なんかすごいたくさんの視線を感じる。ねっとりと絡み付くような視線だ。  男だった俺なら分かる。あれは俺の揺れるおっぱいを見てるのだ。俺でも見ただろう。しかし、理解は出来るものの、いざ自分にその視線が向くと気持ちが悪いものだ。  掲示板の前で珊瑚ちゃんが立ち止まった。俺もそれにあわせて膝に手をおき、息を整える。  体力めっちゃ落ちてるな。男の身体ならこの程度でここまで疲れることはなかったのに。それに胸が揺れて走りにくい。根本的に運動に向いていない身体だ。今から体育のことを考えただけで気が滅入る。 「あった! さくら、あたし達同じクラスだよ!」 「うん!」  珊瑚ちゃんが指し示す先には、一年二組の名簿があり、そこには確かに珊瑚ちゃんの名前と俺、というか桃井さくらの名前が記されていた。  まぁ、知っていたのだが。漫画でも同じクラスだったし。それはそうと嬉しいものだ。これからは毎日、授業中でも珊瑚ちゃんのお顔を拝むことができるのだから。  というか、今までの展開は桃井さくらの視点であったため原作にはないものであったが、もし仮に、この世界が漫画「花園の主」と同様のストーリーが展開されるとするのならば、そろそろあの男がここに姿を表すはずだ。 「どうかしたの、さくら?」 「あそこからすごい勢いで走ってきてる人が」  やはり来た。「花園の主」主人公、神崎愛斗が。原作第一話の冒頭のシーン。 「ほんとだぁ。あの人、そんなに自分のクラスが気になるのかな?」  眼鏡を掛けた少年、神崎愛斗は俺達の前に立ち止まり、俺の肩を掴んだ。 「君こそ僕の理想の人だ!」 「はわわわっ!」  神崎愛斗にそう告げられた俺を見て、珊瑚ちゃんがなんだか面白い反応を示す。これも一言一句原作通りの台詞だ。 「……初期はこんなやつだったなぁ。そういえば」  俺はボソッとそう口からこぼすと、神崎愛斗は怪訝な顔を俺に向けた。 「ん? なんか言った?」 「いえ……、なにも」  俺は目をそらし、首を横に振る。  それから神崎愛斗は、俺のとなりで未だに「はわわわ」と言っている珊瑚ちゃんに視線を向けた。 「よく見たら君もなかなか……。どうだい? 君も一緒に……」  珊瑚ちゃんが口を開けて唖然とする。 「……最低ですっ!」 「僕の作った衣装を着てくれないか」 「へ?」  珊瑚ちゃんが言葉を失いつつも、振り絞るようにいい放った言葉は、神崎愛斗の放った言葉と重なった。  その神崎愛斗の言葉に珊瑚ちゃんはすっとんきょうな言葉を漏らした。そんな様子を俺は端から見守る。  この展開も全て原作通りだ。俺は確信した。この世界は漫画「花園の主」のストーリーをベースに進行している。  ──ならば俺がやることは一つ。 「僕は二年の神崎愛斗。興味があったら是非コスプレ部に来てくれ」  珊瑚ちゃんがこの男のことを好きになるフラグを、俺が全部回収する。  どうせ負けヒロインなんだし、俺と百合になってもなんの問題もないよね!
/30ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加