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第二十三話 『でも、でも…』
《雛乃視点》
先輩に言われた方角で珊瑚のことを探すけど見つからず、あたしは芹沢先生の待つ集合場所へと戻ってきた。
どうやら他のみんなも見つからなかったらしい。あたしとさくら以外の人はみんな帰ってきていた。
「雛乃の方にも珊瑚ちゃんいなかった?」
「うん」
帰ってくると早々に、先輩に珊瑚について尋ねられ、あたしは頷く。
「そう……。ならやっぱりさくらちゃんの方かな」
そう言ってみんなでさくらの向かった方角に目を向けると、誰かが運営の人をつれてそっちの方角に走っていっているのが見えた。
イベント中、運営の人を何回も目にした。特に珍しい光景ではないように思える。だけどあたしの胸に不安が募っていく。
二人に何かあったのでは、と。
次第に慌ただしい雰囲気があたしたちのところまで届いてくる。運営の人もあれから何人もさくらが向かった方角へ駆けつけていく。
「先輩!」
「うん。私たちも行こうか。もしかしたら二人に何かあったのかも」
未だに帰ってこない二人を心配し先輩に声をかけると、先輩も同様のことを考えていたのか、すぐに頷いてくれる。
「私は今回も残った方がいいか?」
芹沢先生が先輩に尋ねる。
「いえ、今回はついてきてください。二人がなにかに巻き込まれていたら、大人の力は必要になると思うので」
「分かった。なら、行こうか」
芹沢先生が頷き、さくらが向かった方向へ駆け足で向かう。あたしたちも続いてついていった。
◆◇◆
走っていて、明らかに人が増えていっているのが分かった。みんな同じ方向へと歩いている。何かあったと考えるのが妥当だろう。
それに、すれ違う人々のこの先で起きた出来事の噂話のような会話が耳に入る。
曰く、女の子が男と揉めて殴られた、というものだ。
真偽は分からないし、それにさくらと珊瑚が巻き込まれているとは限らない。限らないのに……妙な胸騒ぎがする。
やがて、人の動きが少し収まってきた。視線の先には人々がなにかを囲うように集まっており、運営の人もそこに向かって走っていた。
「──さくら! さくらぁ!」
やがて知った声で聞きなれた名前が喧騒の中でもあたしの耳に届いた。
頭が真っ白になる。だってその声の持ち主は珊瑚のもので、さくらの名前を泣き叫ぶように繰り返していたからだ。
あたしはその声を聞いた瞬間、人の輪に突撃するように中を掻い潜って進んでいく。
あぁ、嫌な予感が当たってしまった。
さっき聞いた噂話と照らし合わせると、恐らくさくらが男に殴られたのだろう。
頭の中を怒りが埋め尽くす。
やがて、何人かの人の間を通り抜けた先、あたしの目に一人の姿が鮮明に写った。
倒れているさくらだ。その傍らに泣き叫ぶ珊瑚もいる。あたしはもう回りなど見えずにたださくらに駆け寄っていく。
「さくら──っ!」
あたしに続いて、先輩や蛍もさくらに駆け寄る。
「さくらちゃん!」
「さくらさん!」
神崎先輩もゆっくりとさくらのもとに近づいてきて、傍らにしゃがみこむ。
芹沢先生は運営の人と話しに向かったようだ。声が聞こえてくる。
「関係者の方ですか?」
「ええ、部活の顧問です。あの、何があったのでしょうか?」
「私たちもまだ詳しく把握できていないんですけど、どうやらあちらにいる一番大きな男性と揉めて手を出されたようです」
あたしは芹沢先生と運営の人の会話を聞いて、さくらに手を出したという男の方へと視線を向ける。
男は三人いて、五人の男性の運営に囲まれて事情聴取を受けているようだった。
不快で大きな声が耳に届く。
「だから、俺が先に手を出されたんだって! 顔に蹴り入れられたし、手に噛みつかれたんだよ! ほら、噛まれた跡」
その男の声を聞いた珊瑚が肩を震わせる。何かを言い出すのを我慢しているような。
「珊瑚ちゃん……?」
先輩も気づいたのだろう。そんな珊瑚に心配するような声を上げる。
「それは──!」
途端。珊瑚は、男達に向けて大きな声を発する。
あまりにいきなりだったから、あたしはとても驚き、身体をピクリと震わせた。
「それは──あなたがさくらの胸を触ったからでしょっ!!」
…………は? 胸を触ったって……。
あたしの身体は反射的に、拳を握りしめ立ち上がり、その男達に向かおうとする。
そんなあたしの手を先輩が掴んで止める。
「ダメだよ。雛乃」
「いくら先輩のいうことでもそれはむ──」
反射的に言い返そうとあたしは先輩の方を向く。苦虫を噛み潰したような顔。
先輩だって当たり前に怒っていた。蛍だって。神崎先輩も芹沢先生も。皆怒っている。
「さくらちゃんがそれを望んでないことくらいわかるでしょ?」
「でも、でも……」
そんなことくらい、あたしにだってわかっている。
でも、好きな人が目の前で傷ついているというのにあたしにはなにも出来ないというのか。
そんなとき不快な男の声が再び耳を貫く。
「俺が触ったとかいう証拠あんのかよ!」
「それも含めて調べるから」
そんな男をなだめる運営の人。
「警察とか救急って……」
「既に連絡しているので、もうすぐ来ると思います」
「なるほど、わかりました」
「それと、あと少しで担架が来るはずですので、彼女を医務室までつれていくのを手伝ってもらえますか?」
「それはもちろん」
芹沢先生と運営の人の会話も進む。
しばらくすると、担架を持った運営の人が来て、さくらを医務室へとつれていく。
あたしたちもそれを手伝い、医務室へと向かった。
◇◆◇
医務室へと向かう途中、珊瑚がゆっくりと何が起こったのか話してくれた。
珊瑚がトイレを済まし、戻ろうとしたときあの男達に写真を頼まれたこと。
その際、肩を無理やり組まれ、撮影を終えても離してくれなかったこと。
無理やり胸を触られたり、男の股間を触らせられたこと。
そんなときにさくらが助けに来てくれたこと。
そして、揉めてさくらが殴られたこと。
あの男はさくらだけでなく珊瑚にも痴漢行為を行っていた。腸が煮え繰り返るような感覚だ。
そして珊瑚曰く、多分さくらはわざと殴られたんだと思う、とも言っていた。
なんでも逃げ出そうにも、男たちの方が力が強く、とても逃げ出せるような状況ではなかったらしい。珊瑚は怖くて声が出せず、さくらは声を出そうとしたとき口を塞がれたと。
だから、さくらは男を煽って、わざと殴られることによって今のような状況を作り出したのではないか、ということであった。
「ありがとう、珊瑚ちゃん。話してくれて」
先輩が珊瑚の手をとり、重々しくお礼をする。それから、辛いことを話させちゃってごめんね、とも。
そんな先輩の表情は歯を食い縛り、怒りをこらえている表情。
蛍はずっとさくらのことを見て、心配をしている。珊瑚は目尻に涙をためている。
服以外のことにめったに感情を露にしない神崎先輩ですら怒りを隠そうとしていないし、芹沢先生も生徒をしかるのとは訳が違う、はっきりと怒りを顔から滲み出している。
あたしの顔は今どんなだろう。
あたしたちはもう既に医務室についていて、さくらはベッドの上だ。外ではパトカーのサイレンの音が響いている。
医務室では誰も言葉を発することはなかった。各々がただ静かにさくらを見つめ、自分の感情と向き合っている。
そんな静かな医務室の扉が音を立てて、ゆっくりと開く。
扉から顔を覗かせたのは、先程芹沢先生と話をしていた女性の運営の人だ。
「すみません。警察の方が桃井さんへの痴漢行為について調べるために衣服を確認したいとのことで、そちらの衣裳を脱がさせていただいてもよろしいですか? もちろん調査が終わり次第お返しいただけるそうです」
「わかりました、すぐに脱がせます」
「……じゃあ、僕は桃井の着替えを持ってくるよ」
運営の人の言葉に芹沢先生は頷き、神崎先輩もそんな状況を読んで、部屋から出ていく。
さくらの衣裳を徐々に脱がせていく。
出きるだけ胸の部分には触れないようにと言われ、皆で協力してそのように脱がしていく。
衣裳を脱がし終え、さくらが下着だけになり、運営の人がその衣裳をもって部屋から出ていく。
あたしは、さくらが寒くならないように、毛布を被せる。こんなことしか出来ないあたしが本当に情けない。
それにさくらの左腕。赤く腫れ上がっていた。珊瑚の話だと、殴られるときとっさに左腕で顔を守っていたということだった。
腕ですらこの状況だ。これが顔に命中していたらと考えただけで、胸が張り裂けそうになるほど苦しくなる。
さくらの痛ましい姿を見るたびにあたしは考えてしまう。どうしてさくらなの、と。さくらじゃなかったらあたしはもっと冷静でいられたのに、と。そんな風に考えてしまうのはいけないことなのだろうか。
それから神崎先輩の持ってきた着替えをさくらに着せて、救急車がたどり着いた。
どうやら救急車には四人しか付き添いで乗ることが出来ないらしく、芹沢先生の「後で神崎とお前たちの荷物も持って向かうから、お前たちは桃井と一緒にいてやれ」という言葉で、あたしと珊瑚と蛍と先輩が同乗することになった。
そして、十五分ほどの移動の末、救急車は病院に辿り着いた。それから三十分ほど遅れて、芹沢先生と神崎先輩があたしたちの荷物も持って病院に来た。
どうやら警察の人に送ってもらったらしい。
さくらの衣裳はまだ戻ってきていない。どうやら、胸の部分に残る指紋や、皮膚片等を調べるらしい。
病院についてもう一時間。さくらはまだ目を覚まさない。
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