ライバルは、九官鳥

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ライバルは、九官鳥

「おはよう、雅人」  私は、掛け布団から頭だけ出す。まだ半分とじた目を右手でゴシゴシと擦りながら、ベッド脇に視線を向ける。  もう昼前か。  遮光カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。  床を照らす日光の角度から、私はそう推測した。  先に目覚めた雅人は、ベッドから既に出ており、立ち上がってシャツを整えていた。 「おはよう、雅人!」  私は声に、少しだけ苛立ちを込めた。  まったく冷たいんだから。  挨拶もできないの?  でも、これはいつものことだ。雅人はマイペースで、人になびくタイプではない。  そんな雅人を好きになったのは、自分自身なのだから仕方がない。 「おはよう」  十秒くらい経過してから、雅人は首を少しだけ私の方へ回転させて言った。  私は「いつも、雅人の方が先に起きちゃうのね」と言おうとしたが、唐突に邪魔が入る。 「オハヨウ、マサト、オハヨウ」  返答したのは、九官鳥のピーチだ。窓際に掛けられた鳥かごの中で、嬉しそうに羽音を立てていた。  彼女が会話に割って入るのは、いつものことだ。  彼が私に優しくするのを見て、嫉妬しているの?  雅人とピーチの付き合いは、私より長い。  私は、同棲を始めた三年前よりも後のことしか知らない。  ピーチの方が、私よりも雅人のことを知っていると思うと妬けてくる。  でも、彼女は籠から出ることのできない、ただの鳥。ライバルにはならない。 「朝ごはん、何にしようかな?」 「なんでもいいよ、雅人が作ってくれるものなら」  彼は返事をすることなく、部屋を出て行った。  雅人は料理が上手い。彼は、大学卒業と同時に一人住まいを始めた。そのおかげで、家事全般をこなせる能力が身に着いていた。  反対に私はまるっきりダメ。雅人に頼りっぱなしだった。  でも、雅人は嫌な顔をしたことはない。  私のことを、そんなに……愛してるってこと? キャ。顔が赤らんでいくのが分かった。  そうならそうと、声に出して言ってほしい。  雅人は「好き」とか「愛してる」など、言葉では愛情表現をしてくれない。  壁越しに、トースターのチンという、甲高い音が聞こえた。  やばい! 「今、行きます」  私は、急いでベッドから起き上がりダイニングへと向かった。 * * *  雅人は、難しい顔をしてノート型パソコンへ向かっていた。  私は、そんな彼の横顔をうっとりと眺めていた。ときおり、ずり落ちてくる眼鏡を右手の甲で持ち上げる仕草が、魅力的だ。  仕事をしている真剣な横顔が好き。  見ているだけで、鼓動が速くなる。  私は妖精。彼が好きで、どこにでも着いて回る妖精のような存在。  アイドルとまではいかないが、雅人はイケメンの部類に入る。  高身長で、学生時代にはバスケットボール部に所属していた。 「適切な表現が思い浮かばない……」  雅人は、パソコンの脇に置いていたカップを口に運ぶ。 「コーヒーの飲み過ぎは、体に毒よ」  私が注意しても、集中している彼の耳には届かない。  仕事の邪魔をしちゃだめ。  そう思った私は、しばらく黙っていることにした。  最悪なのは、この部屋を追い出されることだ。  こうやって、彼の横顔を見ているだけで幸せ。  静かにしていれば、どんなに近くに居ても許してくれる。  視線を宙に泳がせていた彼は、再びパソコンへ向かった。  その後は、静寂の中、カタカタというキーを叩く音だけが室内に響いていた。  その静寂を破ったのは、彼のスマホの呼び出し音だった。 「ああ、編集者か。無視はできないな。うー。締め切りは、まだのはずだが」  小さく溜息をつき、スマートフォンを耳に当てた。 「あっ、私です。すみません、誠意、執筆中です。明日……いや、明後日には原稿が上がりますので。調子はどうか? いいですよ。筆が走るというのは、こういうことかと思えるほどです。はい、完成したら、すぐに一報を入れます。失礼します」  電話を切った彼は、今度は大きなため息をついた。  嘘つき。  筆が走っているようには見えない。  小説家という仕事は、肉体労働だ。執筆は神経をすり減らす作業らしい。脇で見ていると良く分かった。  ずっと座っているけれど、楽な仕事だというわけではないのだ。  パソコンに向かうものの、指が全く動かなかった。  筆が走らなくなることは頻繁にあるけれど、今回は特に厳しそう。  こんなときに、必要なのは気分転換だ。 「軽く体を動かしたら?」 「よし、走りに行くか」  彼は、両手で太腿を叩いてから立ち上がった。  ああ、ジョギングか。私は肩を落とした。  散歩なら喜んで行くのだけれど……私は、運動が苦手。 「待って……」  部屋を出て行く彼の後ろ姿を、慌てて追いかけた。
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