ライバルは、九官鳥

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* * * 「出来るだけの調整をしてみましたが、いかがでしょうか?」  意識が戻ると、私は店のソファーに座っていた。  雅人は椅子に座っており、店員が調整したらしい眼鏡を掛けていた。  突発的に眠ってしまったのだろうか。  まさか倒れたとか?  恥ずかしい。  いや、それなら、もっと心配されているはず。  ということは、ソファーで眠ってしまったのだろうか。似たようなことは、これまでにもあった。  私は慌てて立ち上がり、雅人の背後まで移動した。 「鏡をお出ししますので、ご確認ください」  店員は、店の奥から大きな鏡を抱えて戻ってきた。  そして、鏡を雅人の目の前に置いた。 「ちょっと、体を揺らしてみたら? ジョギングの時にカタカタと音がするのが気になるって言ってたよね」  私は、雅人の後ろ側に回り込んで、鏡を覗き込んだ。  鏡越しに彼と目を合わせるはずだった。 「えっ、なんで!!」  短い奇声とともに、そんな言葉を口走ってしまった。  彼と目を合わせることはできなかった。  なぜなら、鏡には私自身が映し出されていなかったから――。 「ねえ、雅人。ねえったら!」  お願いだから、返事をして! 無視しないで!!  雅人は、何事もなかったように首を右左に傾けて鏡を注視していた。  大声を出しているのに、店員は振り返りもしない。微かな笑みを浮かべたまま、雅人の様子を伺っている。 「ねえってば!!」  我慢しかねた私は、雅人の両肩に手を置こうとした――しかし、私の両手は雅人の肩をするりと通り抜けた。  まるで透明人間のようだ。雅人が透明なのではない。  私が透明人間なのだ。  鏡に映らない透明人間、話しかけても返事をしてくれない彼氏……。  ――そうか、そうだったんだ。  私は、この状況から、驚愕の事実に気付いてしまった。  雅人には、私が見えていないのだ。  今だけではない。ずっと見えていなかったのだ。  思い返せば、不可解なことだらけだ。  一方通行の会話だけではない。彼が作る料理は、いつも一人分。  私は、美味しそうに食べる彼をうっとりと眺めるだけ。  外食しても同じだ。注文するのは、いつも一人分。  たまに発する雅人の言葉は、独り言だったのだ。  じゃあ、私は一体、何者なの?  その答えには、予測がついていた。  この店に入ったとき、なんだか懐かしい気持ちになった。  雅人が眼鏡を外したときに、意識を失ってしまった。そして、彼が改めて眼鏡を掛けたら意識が戻った。  つまり私は……眼鏡を掛けているときだけ、雅人の近くに存在できる妖精。  眼鏡の妖精。  そう考えると、つじつまがあう。  お風呂に一緒に入った。  彼は眼鏡を掛けたまま風呂に入るから。  これは、まだ理解できる。  トイレにも一緒に行った。彼は眼鏡を掛けたままトイレにはいるから。これは、良く考えるとおかしい。  いくら一緒にいたいと思うカップルだって、トイレまで一緒に入るのは異常だ。  なぜ、今まで気が付かなかったの?  雅人は立ち上がって、軽くジャンプをした。 「やっぱり、カタカタと震えるのは、直っていないみたいです」 「できるだけの調整はしましたが、ネジ穴が緩くなってしまっているのかもしれません。ちなみに、いつご購入されましたか?」  店員が眉を寄せて、申し訳なさそうな表情を作った。 「ちょうど、三年前にこちらのお店で作りました」  三年前!  彼との同棲期間と同じだ。  私には、それより前の記憶がない。  アルバムに私の姿はなかったし、スマホの写真にも映っていなかった。  その瞬間に、過去の記憶が蘇った。  雅人が、この店に眼鏡を選びに来た日のこと。  他の眼鏡フレームと一緒に並べられていた私は、彼に一目ぼれをした。  私を選んで! と必死にアピールしたら、彼が選んでくれた。  恋は盲目。三年間、自分が何者か分からなくなっていた。 「これを機に、新しい眼鏡をお作りすることを、お勧めします」 「そうですね、このままだと不便なので。とても気に入っていたので残念です」 「では、眼鏡は店で引き取って、処分しておきます。三年経ってますので、視力検査から行いましょう」  雅人は薄い笑みを浮かべていたが、私には寂しそうな笑顔に見えた。  突然のお別れ。  寂しいな。  とても楽しかっただけに……悲しい。  店員は、雅人の顔へ両手を伸ばした。  眼鏡が外されたら、それで終了。  もう、二度と雅人に会うことはできない。  諦めるしかないのかな。 「ありがとう、雅人。もっと、もっと、一緒に居たかった」  私は、彼の耳元に口を近づけて、優しくささやいた。  その瞬間、意識が遠のいた。
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