誘う指先

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「それからは妻との関係がおかしくなってきました。それと同時に妻もおかしくなってきました。泥棒がいると言って手当り次第に物を投げつけた事もありました。自分は狙われていると思い込み、慌てて逃げようとして階段から落ちた事もありました。 全てお酒のせいです。私は一層厳しく禁酒を迫りました。でも妻は私に泣いてすがったのです。手が震えるの、飲まないと手が震えるの……と」  頭をハンマーで殴られたような気がした。僕は誤診をしてしまったのだ。単なる育児ノイローゼだと思い込んでいたが、手の震えはアルコール依存症の離脱症状だったのだ。  学生時代は神童と呼ばれ、医大でもずっとトップを走り続けてきた。その僕が誤診をしてしまうなんて。清美さんが正直に症状を話してくれなかったせいだ。いや、それを見抜くのが名医だ。僕はヤブ医者だったのだ。なんという事だ。 「そのような症状でしたら精神科か心療内科をお勧めします。入院になると思いますけど」  突然ドアが開き事務員が入ってきた。 「でもまだ子どもが小さいので妻を入院させるわけには……」 「そんな状態の方に赤ん坊の世話は任せておけません。早く治してもらわなきゃ」 「でもまだ娘は母乳が必要なんです」 「あのね、母乳なんてなくても赤ちゃんは育ちます。母乳の出ないお母さんだってたくさんいます。今の粉ミルクは良くできてますから。それに6ヶ月ならそろそろ離乳食でしょ? お父さんお料理得意なら腕の見せ所ですよ」 「離乳食……頑張ってみます」 「そうよ、その意気! 娘さんが物心つく前にしっかりお母さんには治ってもらいましょう。まだまだ先は長いのよ」 「そうですね。今ならまだやり直せる。すぐに帰って専門医を受診させます」 「それがいいですよ。お大事に」
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