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「手が震えるんです」
女性は目を伏せたまま、囁くように訴えた。僕は問診票に目を落とした。
小川清美、32歳。主婦。生後6ヶ月の娘さんがいる。
「今日娘さんは旦那さんがみてくれているんですか?」
「あの人は子どもの面倒なんてみません。実家の母が預かってくれています」
「そうですか」
清美さんは虚ろに自分の手を眺めていた。
「じゃあ診察しますね。手を出してください」
清美さんはそうっと両手を僕の前に差し出した。白くて長い指だ。先端にいくに従って細くなっている。桜貝色の細長い爪が指先を彩っている。僕は吸いこまれるように、その左右それぞれの手を握った。しっとりと、冷たい。
「あっ……」
清美さんはピクリと一瞬だけ体を震わせた。
「僕の手を握ってください」
「はい……」
清美さんは遠慮がちに僕の手を握り返した。冷たいと感じていた手から、温もりが伝わってくる。
「今は震えてないようですね」
「家では良く震えるんです」
「どんな時にですか?」
「夫が、喋るとです」
「喋ると?」
「夫の言葉は冷たくて、胸に突き刺さるんです」
「そうですか」
どちらの手も同じ力で握り返している。呂律も回っている。脳に問題はなさそうだ。ならば精神的なものかもしれない。
それにしても美しい手だ。ここまでの手は見たことがない。滑らかで吸い付くような肌。これが30年以上生きてきた者の手なのか。赤ん坊の肌よりも瑞々しい。肌理が整っているのはもちろん、シミひとつない。関節などないかのようなしなやかな指。まさに理想の指だ。
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