3 バイトと散歩

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 カエデがスーツケースに収容した物の中には、小説や漫画など本が多く詰められていた。カエデがバイトに行っている間、暇だったので適当に拾って流し読んでみる。読めない単語は辞書で検索をかけながら、牛のように一歩ずつ。 「読むんじゃなかった……」  ミステリー小説の犯人の名前に赤色のマーカーで線が引かれていた。自分なりに考察しようとして読もうとした成果だろうが、誰かに貸す選択肢は出来ない本に見事仕上がっていた。次は人間の男性が表紙を飾っている雑誌を乱雑に捲り、あまりのつまらなさに眠気が勝ってそのまま寝落ちした。カエデに食材の調達の全てを任せるのは少し気が引けたが、まあいいかと開き直った。 「おーい、愛しの妻が帰ってきたッスよー」 「……誰が妻だ馬鹿が」 「あ、それって私の雑誌じゃないッスか! プライバシーの侵害! 逮捕だ逮捕!」 「人間みたいな事言ってんじゃねえよ!」  眠りから覚めるとカエデが俺の手首を掴んで上下に激しく揺さぶった。牛肉と大根と白菜と豆腐と(ねぎ)が机に置かれ、そのままスーツをタンスに仕舞おうとして、ふと視線が俺が置いた雑誌に合った。 「ケンジンもワイルドって奴に憧れるんッスか?」 「わいるど? なんだそれ美味しいのか?」 「漢気溢れるみたいな感じッスよ! 例えばこのページの人間の俳優さんが……」  スーツを中途半端に脱ぎ散らかしたまま力説を始めるカエデの進行方向を腕で無理矢理変えて、代わりに道徳とは何かを声を張り上げて説いてみせた。「どうとく? 美味しいんッスかそれ?」と言われて、興味無い事には無関心なのだと言う両者の共通点が見つかった気がした。嬉しいとは思わなかった。  晩ご飯は大根をすりおろしてポン酢の中に投入し、他の具材は煮込んで鍋にした。一匹暮らしの自分が誰かと一緒に鍋を食べる機会が来るとは思わなかった。ニル爺がくれた卓上のIHコンロに電源を差し込み、出来上がった鍋を運んでいく。 「腹減ったッス。緑茶注いで欲しいッス」 「それくらい自分でやれよ」 「え〜?」  渋々椅子から立ち上がり、冷蔵庫の中から緑茶を取り出して自分のコップに注いでいる。俺が子供を持てばこんな感じに教育していくのかななんて考えて、滅多な事を考えるじゃないと自らを戒めた。カエデとの生活で思考が甘やかされてしまっているのが自分でも分かる。本当に情けない。   「いただきます!」  全てを「わいるど」にやらなければ。
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