プロローグ 龍涙と天狗

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 どうしてこんな事になったのだろうか。  二日酔いで起こした体の隣には、いつの間にかペットのように居座る馬鹿天狗がいる。収容可能な筈の翼を広げて、堂々と半分以上のスペースを使っている。今更押しのけるのも面倒臭いので、音を立てないように静かに部屋を後にした。  中庭で日課の刀の素振りをする。手に染みている血豆を圧迫する痛みが、顔を洗うよりも強く夢見心地な気分を覚まさせる。少しの油断も無く淡々と刀を振り続けていると、自分が刀と同化したような気分にさせられて酒気も抜けていく。吐息が白を帯びて喉を震わせた。違和感を覚えて鏡を見ると赤髪に(ヨダレ)がベッタリとついていた。 「朝ご飯まだッスか?」 「……明日はお前にやってもらうからな」  サボり癖のついたアホ天狗の心を反映するように寝癖が大胆に立っている。木製のテーブルを枕に見立てて二度寝を敢行するその頭を木刀で小突き、藍色の皿に載せた目玉焼きと白菜スープを並べる。三度寝する前にスープを無理矢理口に流し込む。やっと目が覚めたのか料理を勢い良くかきこみ始めた。口の周りがみるみるうちに汚くなっていく。品が無い奴だ。 「街で料理人でもやればいいのに、って思うくらいには美味いッスね。五十点!」 「……俺は龍だからな。人間に絡む気は無い」 「そんな怖い顔してたら皆逃げますしねえ」  頬を摘んで思いっきり引っ張ってやるが、確かに自分が怖い顔をしているのは認めざるを得ない。龍が持つ力の一つは人間への擬態だが、種族全体として不器用な龍は、顔の造形を作るのが極めて下手だ。カエデが持ってきた本では「わいるど」という奴に当てはまるらしいが、何を言ってるのか分からない。鼻息荒く力説されたが何の興味も湧かなかった。 「私が食い扶持稼ぐので大丈夫ッスよ」 「……別にお前がいなくても生きてけるけどな」 「まあ助け合いって事で! 私は料理をモグモグ食べられて、ケンジンは生活費を貰える。互いに利があるッスよね。私、賢い!」  熱い緑茶を流し込むカエデが微笑むと、外の風が呼応するように木々を優しく撫でた。妖艶な目線が俺の瞳へと突き刺さる。思い出す。あの日の交渉を。 「さっさと出てけよ、クソ天狗」 「泣くまでは無理ッスね、馬鹿ドラゴン」  コイツは俺の『涙』が目的なだけ。  そう思うのに反して、心は少し弾んでいた。
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