3 バイトと散歩

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 カエデは両腕を俺の脇腹に回す。  弱々しく抱き締められた。俺を殺す力は無い。なのにその温もりが何よりも強い破壊力を持って、俺の殺意を殺していく。何も分からない。どうしてここまで心が震えるのか。 「あなたは私の救世主なんッスよ」 「お前は何者だ!? 助けた覚えなんて……」  俺の左手に赤赤しい舌が触れる。  夕日よりも燃える熱情が、瞳に現れている。 「私はカエデシオン・ニスカリカ。あなたを愛する、ただの可愛い黒天狗ッスよ」 「……本名が聞きてえ訳じゃねえよ」 「ははは! 可愛いは否定しないんッスね?」  咄嗟に手を離す。未だ震えている掌にカエデの手がまた絡み付いてくる。払う力も生み出せないまま、なすがままで手を繋いだ。夕日がビル群に食べられる様を二匹は見ていた。 「私、この八日間は幸せばかりだったッスよ」  カエデは、泣いていた。  地面に水滴が付いて吸収される。大地に命は芽吹かないが、代わりに小さな鼻から鼻水が垂れてきた。俺の服に擦り付けてくる。汚い。 「……お前みたいにお気楽で感受性豊かな奴が龍だったら、龍涙の回収も楽だったかもな」 「でも、ケンジンが龍だから私達出会えたんッスよ!」 「……まあ、そうだな」  反論も面倒臭くなって体をカエデの肩に預ける。居心地の良さが逆に棘になって体に食い刺さる。抜こうとしても心がこのままが良いと主張する。俺は少しだけ笑った。 「俺は、お前の事を多分一生好きになれねえよ」 「そうッスか」 「だからこそ、お前は俺の隣にいろ。契約も約束も中途半端に投げ出すな。……なんだその顔」 「ケンジンはそう言うと思ってたんッスよ。デート中もずっとこっち見てたんッスからね〜! この意地っ張りちゃんめ!」 「……デート!? 何言ってんだてめえ!」  今度のにやけ面をしたカエデは逃げない。  ただ愛おしげに微笑んで少しも俺を恐れる事無く、まるで俺の言葉を遂行するように佇んだままで。その歯痒い程の純粋さに怒りの矛先が曲がって霧散してしまう。 「今度はちゃんと約束するッスよ。ケンジンが泣くまで隣に居続けるッスから。……泣きたくなったッスか?」 「お前の涙にもらい泣きはしねえが、お陰様でいい気分だよ」 「……どういたしまして?」  カエデの事も龍神会の事も、未だ分からない。  俺は龍という存在をどう思っているのか。カエデの指摘通り矛盾している心模様を抱えたままだ。ただ、龍涙が繋げたこの契約に感謝はしている。自分の在り方を見つめ直す良い機会になっているからだ。だからカエデと出会えた事も、小指の爪の大きさくらいは感謝してもいいかもしれない。 「……いつの日か、私の全てを食べてね」  カエデが何か呟いたが、風の音に消されてその声は俺の耳まで届く事は無かった。甘いおしるこの旨みが、口の中に何時までも残ったままで。
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