1 出会い

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「これから行うのは、交渉ッス」 「交渉? 食べ物だけ置いてけよ」 「食い意地凄いッスね。なんか怖いなあ……」  天狗の黒髪に緑茶の湯気が触れる。窓の外では先程まで晴れていた空が黒雲に隠されて見えなくなった。経験的に数分もすれば雨が降るだろう。 「私はあなたが泣くまで、家に帰れません。この契約を破れば、私はここで死にます」 「……脅してるのか?」 「はい。ここで契約の破棄を自分に命じれば、家に血の花が咲くんッスよ。可愛いロボット掃除機ちゃんに、こんな酷い掃除はさせられませんよねえ?」  勝ち誇った笑みでそう告げられる。  やられた、と激しい後悔に襲われる。家に上がられた時点で決着はついてるような物だった。ここで今から刀を取り出しても木造の家に血の染みがつくのは避けられない。俺が交渉に応じるまでここに居座るつもりだ。現に天狗は爪切りを持ち出して指の爪を切り始めた。人の神経を逆撫でるのが上手い奴だ。 「クソっ! どうすれば……」 「やっぱり優しいんッスね、あなたは」  頭を抱える俺の頬に、短く整えられた爪が当たった。鋭利さの欠片も無い優しく細い指はほんのりと温もりを帯びている。反射的に刀の柄を握り込む。 「龍なら私の事、食べちゃえばいいのに」 「……不味いだろ。天狗なんて」 「私が今まで会ってきた龍は食べようとしてきたッスよ。なのにケンジンは暴力以外で事を収めようとしている。随分と可愛い龍ッスねえ」  思わず頭に血が上る。鞘を抜き、峰を天狗の首に宛てがう。刃を反転させれば、容易く命を刈り取れる。  それなのに天狗は微笑んだまま、緑茶に手を伸ばした。殺される事は無いと確信しているかのように。 「私は死にたくない。あなたは私を殺したくない。解決するにはケンジンが泣けばいい。簡単でしょう?」  分かっている。  分かっているのに。  分かり切った事なのに。  こいつを食えば栄養を摂取出来る。  ドラゴンフォルムに戻れば、この窮屈な体から抜け出せる。そんな事は分かっている。  でも、もう殺したくないのだ。同族同士で滅ぼしあったあの日から脳内に住み着いているのは後悔だけだ。美談にするには、血が流れ過ぎた。 「……交渉成立ッスね」 「お前は、俺を何処まで知ってやがる!?」  その問いには答えず、刀を下ろすようにと指を下に指す動作をする。脅しが通じない以上、力を振るう必要も意味も無い。全部理解している。  コイツは、何者だ?
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