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「……俺は泣けない。泣いた事が無いんだ。多分これからも無いと思う。だからお前らの望みは叶わない」
「何言ってるんすか。私が住むから大丈夫ッスよ。ケンジンは心配性だなあ」
天狗が指を鳴らすと、手元からスーツケースが現れた。両手で運び床に広げると中から生活用品やら娯楽用のグッズが所狭しと詰め込まれている。
口をあんぐりと開けた俺に緑茶を流し込むと、噎せ返る姿を見ながら手を大袈裟に叩いて大爆笑のポーズだ。
「誰が住まわせるのを許可したんだよ」
俺の言葉に耳を貸さず、勝手に歯ブラシを洗面台の上のスペースに置き始めた。風呂場にボディタオルをかけてシャワーの出力を確かめている。
「ケンジンが泣くまで私がついてるッスよ」
「ふざけるな。俺はずっと一匹で……」
「もう、悲しまなくてもいいんスよ」
体を温もりが包んだ。
それは多分、今までで初めての経験だった。
他者に、それも自分より弱い者に抱き締められた。赤ん坊をあやす母親のように、愛おしげに。
気に入らない。振り回されるのが。
俺は、龍なのに。
「どうッスか? 泣きたくなりました?」
「……てめえ! ぶった斬ってやる!」
「あはは、捕まえてみろッス〜」
天狗は楽しげに家を荒らし回った。
結局天狗が住む事を了承する事になったのは、天狗の上司の説得を受けてからだった。契約書の中には継続的な物資の配布、プライベートの時間の確保、『龍涙』回収後の速やかな撤退が書かれていた。天狗の頭には大きなタンコブが二つ出来ていた。可哀想だとは思わなかった。自業自得だ。
天狗の事は全くもって気に入らないが、ドラゴンフォルムに戻れる機会が増えるのは悪い事じゃない。こいつらを逆に使ってやろう。そして旨味だけ吸い尽くして、棄ててやる。
この時の俺はまだ思いもしなかった。
この喧しい天狗との、穏やかな日々を。
そして、天狗に心臓を奪われる事を。
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