未練の幽霊

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未練の口から溢れた真実に、桃青は「うん」と頷いた。大袈裟な反応をすることなく、静かに真実を受け入れた桃青。 「ここの噂、僕が書いた本のことだよ」 すとん、と胸に落ちたのが分かった。2.3年前から流行り出した図書室の噂。その噂が生まれた背景には、きっと、 「僕の想いを伝えたかった人がいたんだ」 そう話す未練の顔は、ひどく淋しそうで。今にも消えてしまいそうな、そんな表情をしていた。 「僕は18年前に死んだ。…病気だったんだ」 未練の声は震えていた。 「どうせ死ぬなら、今まで隠してきた想いを本に乗せて伝えようって思った」 そうか。 未練はただ、恋をしていたんだ。 「あの人は僕が小説家だと知る唯一の人だった。あの人だけが分かる方法で伝えたかった。それが、本だった」 噂が生まれた背景には、ただ、好きな人に愛の告白をしたいという純粋な想いが存在していた。 「僕は6冊の小説を執筆した。そして、死ぬ直前までに書いていた7冊目がある。その本をあの人に読んでもらいたかった。ただ、それだけだった」 噂は他の誰でもない、未練自身が流したのだ。好きな人に気づいてもらうために。 「でも、待つのに18年は長すぎた。いつの間にか、僕の記憶は失われていって」 彼は18年間も待ち続けていた。想い人が再び、目の前に現れるのを。待ち続けて、やがて、なぜ自分がここにいるのかも見失ってしまった。 「そんな時、君が現れた」 未練は桃青の頬にそっと触れた。ひんやりと冷たい感覚が頬に伝わってくる。 「君は僕を見つけてくれた。僕の記憶を取り戻してくれた」 俺は何もしていない。放課後、ここで何気ない会話をしていただけに過ぎない。それでも彼は感謝していると言った。 「僕は小説家だからさ、“運命”だなんて言葉を使うんだけれど、まさにそうだと思ったんだよ。君との出会いは“運命”だ」 直球な物言いをする未練に、桃青は照れくさそうに髪をかいた。 「でも、もう想いを伝えるのは無理かなぁ」 「え」 思わず声を出してしまった。 「なんで?」 「あの人は噂の真意に気づいていないようだし、もしも、噂に気付いたとしてもあの人と話すことはできないでしょ」 だから、諦めるという彼に桃青は胸が痛くなった。やっと記憶を取り戻したのに、想いを告げることをしないなんて、それは悲しいことなんじゃないかと心の底から思ったから。 「成仏、できなくなるぞ」 この時の俺はどんな顔をしていたのだろう。俺を見る未練の顔は、困ったような顔をしていた。まるで、わがままを言う我が子を見ているみたいな、そんな顔をしていた。 「あはは。そうだね。君の守護霊になるのも悪くはないかもね」 「…それはなんか嫌だ」 「ひどいなぁ」 目を細めて笑う未練の瞳に涙が浮かべているのを、桃青は然りと見た。 その日の夜、桃青は眠れなかった。神経が尖っているみたいで目が冴え渡っていた。 未練から聞かされた真実を頭の中で反芻させる。彼は18年間も待ち続けていた。自分の想いが好きな人に伝わるのを。 その手段が小説だった。想い人にしかわからないメッセージを彼は込めたつもりだったのだろう。しかし、その噂は時間が経つにつれて婉曲され、やがては「恋のキューピッド」という恋愛成就の全く別のものになってしまった。 このままだと未練は成仏できないし、俺自身も納得が行かなかった。巻き込まれた上、未練の行く末を見届ける義務があると感じていたのだ。 桃青は布団から起き上がり、窓を開けた。隣に暮らしている伊月の窓をそっと叩く。明かりがつき、伊月は桃青のノックに応えた。 「どうした、眠れないのか?」 夜中に起こされたというのに、決して嫌な顔を見せない伊月に胸がぎゅとした。 「起こしてごめん。あの、お願いしたいことがあるんだ」 「桃青がオレにお願い事するなんて、久しぶりだな。嬉しいよ。オレはお前のためならなんでもやるよ」 優しく笑う伊月。 「あのね―――」 めったにお願い事をしない桃青から変わったお願い事を聞いた伊月は目を大きく見開いた。目の前にいる綺麗な顔をした幼馴染は顔を赤くしながら、こちらを見ていた。懇願するような眼差しで見つめられると、断れない。 生まれつき、透き通るような青い瞳をした桃青はその瞳のせいで、辛い想いをしてきたのを伊月は知っている。全てを見透かしているような眼差しで周りを観察する桃青を周りは不気味だと蔑んだ。きっと、当時の大人たちは桃青に対して畏怖の感情を抱えていたんだと思う。 『青い瞳をしたばけものだ』 時にはそんなふうに虐げられた。それがきっかけなのか、桃青は人と関わることをやめた。必要最低限にしか人とコミュニケーションを取らなくなった。幼馴染である伊月でさえも。 そんな桃青が人と関わり、その人を助けたいと願った。ならオレが断る理由はない。 「分かった」 力強く頷く伊月に桃青は安堵の息を漏らした。 「理由は聞かないんだな」 「聞かなくてもわかるよ。誰かを助けたいんだろ?」 なんでも分かっている幼馴染に敵わないな、と桃青は小さく、小さく笑った。 「頼んだよ」 「まかせろ」 自信満々にそう答えた伊月に桃青は嬉しそうにはにかむ。その笑顔が見たくて、色々馬鹿やっていたことは伊月だけの秘密である。
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