未練の幽霊

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図書室のドア前に立っている桃青は一つ深呼吸をした。ドアの向こうにいるであろう彼にあることを告げるために―――。 ドアを開ける。 「あ、桃青くん」 いつものように柔らかい微笑みを浮かべる未練の幽霊がそこにはいた。 胸がぎゅ、と苦しくなった。 「どうしたの?いつもに増して険しい顔して」 未練は桃青の眉間の皺を指した。 「そろそろお別れだ」 「…え」 今日は未練の命日だ。周りに知られている命日とは違い、未練の幽霊が生まれた日でもある。未練は今日、未練の幽霊となったのだ。だからこそ、成仏しなければならない。しなければ、悪霊となり、この世に留まり続けるだろう。 「どういう意味?」 「未練は記憶を取り戻した。だから、この世に留まる理由もないはず」 「あ、そうだね…」 「お前が最後に執筆した本も見つけた」 未練は驚愕の色を見せた。 「でも、読んでいない。あの本はある人が読むべき本だからだ」 「……」 「俺は今日、お前に別れを告げなければならない」 「―――桃青くん」 桃青は未練と向き合うようにして立つ。 「…お前の未練はなんだ?」 桃青がそう尋ねると、彼は一筋の涙を流した。―――なんて綺麗な涙を流すのだろうと思った。 「生きたかった…。生きて、あの人にこの思いを伝えたかった」 「あの人というのは日日先生のことだよね」 彼はゆっくり頷いた。そして、桃青の頬にそっと手を触れた。 「気づいていたんだ」 「まぁな」 「さすが、桃青くんだなぁ」 目の前で幽霊が泣いている。 「でも日日くんは僕の姿が見えない…」 だんだんと声が小さくなってゆく幽霊。 「日日先生って、未練が書いた本を知ってるんだよな?」 「うん」 「先生にさ、噂通りの手順で本を探して貰えば、未練は姿を見せることができるかもしれない」 「え、そうなの?」 「あくまでも可能性の一つだ。…幽霊がこの世に留まる理由は大きく分けて3つある」 「3つ?」 「1つは未練があって、あの世に行けないから。2つは死んでいることに気がつかないまま、ここに留まっているから」 真っ直ぐと未練の眼差しをじっと見つめている。凛々しく、力強い目だった。 「3つは愛する者がこの世にいるから。そして、愛する者に呼ばれたから」 その言葉に未練の大きな眼差しから涙が零れ落ちる。その涙は誰のために流しているのか。それは言うまでもない。 「それって…僕は春人くんに呼ばれたってこと?」 「お前がそう思うんならそうなんだろう」 未練ははにかんだ。 「うん。君はいつも正しい。だから、そうなんだろうね」 「―――先生に別れを告げるか?」 桃青の真っ直ぐな青い瞳で見つめられ、未練は静かに頷いた。 「そうだね。そろそろお別れしなくちゃね」 未練は図書室を見渡した。好きな場所。好きな本の匂い。静寂な世界が広がっている。窓から部活動に勤しむ生徒たちの掛け声が聞こえてくる。 未練の小さな背中を見つめる桃青。 「昨日、先生の机に書き残しを置いといた」 「え?」 先ほど桃青が述べた仮説に自信があったのか、すでに準備はしていた。用意周到な桃青に思わず笑ってしまった。 そうだったね。君は根拠があったから、こうして僕が春人くんと会えるための準備をしてくれていたんだね。 「あともう少しで先生が来るはずだ」 「そっか」 「俺ができるのはここまでだ。あとは未練次第だ」 この物語の主人公は俺じゃない。未練だ。 「――桃青くん」 穏やかな声で名前を呼ばれ、桃青は「うん?」と頷いた。 「僕ね、新しい夢を見つけたんだ」 「新しい夢?」 「僕は小説家のくせに、夢は見ないし、ロマンチストでもないんだよ」 「へぇ、それは知らなかったな」 「ふふ。でもね、君と出会って、願ってしまったんだよ。君の物語を書きたいって」 桃青は目を大きく見開いた。未練はそんな彼を優しい眼差しで見つめている。 「君のことだから、主人公は僕だって思ってるんでしょ」 「…ははっ」 眉間にシワを寄せて、苦しそうに笑う桃青を見て、未練は言葉を続けた。 「『青い瞳をしたばけもの』って言うタイトルで君の物語を書きたい。君の瞳はいつだって真実だけを見つめている。君はこれからもその瞳で、みんなが隠してる悲しみや辛さを見つけ出し、救うんだよ。僕を救ってくれたみたいに」 「お前はイレギュラーだった。今後はこういうことはもうしないからな」 「ううん。君は絶対人を助けるよ」 確信めいた瞳で桃青を見つめる未練。 「君のそばで君の活躍を見守って、小説を書く。それが、僕の新しい夢だ」 「――そうか」 桃青は力強く頷いてから、こう告げた。 「なら、来世でもまた会おう。その時はかっこいい俺の姿をお前の文字で紡ぎ出してくれよ」 「うん。任せて」 時計を見ると、時刻はもう16時前になっていた。そろそろ、日日が来る時間だ。振り返った桃青は未練に最後の挨拶をした。 「じゃあな、ーーーーーーーーーーーー」 「うん。じゃあね、桃青くん」
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