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風前の灯火
幸せな生活を築き上げようとしていた、矢先であった。一方で、藩士の娘である美津子は哲夫に想いを寄せており、忘れる事ができなかった。また、藩士としても名誉を裏切られる事であったため、駆け落ちという行為は許しがたいものであった。
そのため、駆け落ちしてから、様々な情報を得て調べていたのだ。そして、遂に二人の居場所を突き止められた。
美津子と父親、女将らは房江の家を訪ねた。そして玄関のドアを強くたたいた。哲夫は何事かと思い、玄関を開けると、母親である女将の姿が目に留まった。
「哲夫、ここに居たのね、どうして、房江と逃げたの?あなたは婚姻が決まっていたはずでしょ」
「それは……」
「哲夫さん、ここにいたの、ひどいじゃないの。私を置いて、裏切って」
「申し訳ありません。美津子様」
「哲夫、どう責任を取るんだ?」
女将らの訴えに哲夫は言葉にならなかった。房江はそのやりとりに気づき玄関へ出てきた。
そして、女将らに謝った。
「申し訳ありません」
「申し訳ありませんで、すまないでしょ。どれだけ周囲に迷惑をかけたと思っているの」
「はい……」
「この、泥棒女」
そう、強く美津子は言い寄った。
房江は言葉にならなかった。
「さあ、置屋に帰って、美津子様と婚姻するのよ」
「それはできません」
「それなら、力づくで連れていくしかないわね」
「そうよ、女将。この泥棒女と哲夫さんを連れていくわよ」
哲夫はとっさに、房江の手をにぎり、裏庭から全力で逃げ出した。
「待ちなさい、哲夫」
「申し訳ありません」
「待つのよ。哲夫さん」
「さあ、房江さん、急いで」
「はい」
哲夫と房江は必死で山を駆け下りた、普段から山の獣道を熟知していたので、案外と容易に山から降りることができた。
女将ら追手は必死で山から降り、哲夫と房江を探し始めた。そして、大阪の町へ出たのだ。二人は一目を忍んで知り合いの家へたどり着いた。
知り合いに事情を話し、かくまってもらう事にした。幸いに哲夫と知り合いの存在は女将達には情報が入っていなかったので、知り合いの家で過ごす事になった。しかし、外に出る事は一切できなかった。外には追手らが探し回っていた。
いくら、哲夫と知り合いの存在を知らないとしても、隠しきれるものではないと悟り、脱出の方法を考え、大阪の港から東北へ逃げる事にした。当然ながら、出来るだけ、遠くに逃げないといけないと判断したからだ
房江と哲夫は心苦しかったが、やっと幸せを手に入れたので、逃げる選択肢しか残されていなかったのだ。しかも、幸子の墓が残っている山村から逃げることは辛かった。
そして、丑の刻に知り合いの家から逃げ出す事にした。それは皮肉にも満月の夜であった。満月が不安そうに二人を見つめていた。
「房江さん、今です。今のうちに港へ向かいましょう」
「はい」
「房江さん、覚悟はできていますね。もう後戻りはできないのです」
「でも、幸子の墓が気になります」
「何を言っているのですか。捕まってもいいのですか」
「わかりました」
房江はこれ以上にないほど、悲しい声でうなずいた。哲夫はか細い房江の手を取りながら、必死で走った。走って港まで向かった。港までは距離が遠かったので、翌朝を迎えた。
果たして二人は港まで、たどり着けるのだろうか?
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