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哲夫はいつも同様に、一目を忍んで港まで向かった。房江は心苦しさのあまり、涙が頬をつたわった。
「哲夫さん、やっぱり、置屋へ帰らないといけないのではないでしょうか?」
「房江さん、何をいいますか。何度も同じことを言わせないでください。せっかくつかんだ幸せなのですよ。東北なら、母らもわからないでしょう。できるだけ遠くへ逃げるのです」
「はい」
季節は駆け落ちした時と同じく、冬であった。あの時と同様に、房江は吐く息は白かった。二人とも追手が向かってくる事がわかっていたので不安で不安でたまらなかった。
案の定、大阪の町では追手から見つかってしまい。二人は手をとり走って逃げた。
「いたぞ、ここにいたぞ。」
「追え、追うんだ」
「へえ」
「房江さん、早くこっちに」
「はい」
しかし、追手の足は速かった。もうすぐで捕まろうとした瞬間であった。
「早く、馬車に乗りなさい」
懐かしい声が聞こえた。それは奉公する時に一緒にいた嘉助の声であった。たまたま、大阪の町を馬車で走っており、逃げ回る二人を目撃していたのだった。そして、二人は馬車になんとか、乗り込んだ。
追手は必死で走って追いかけてきた。なんと先は崖であった。行き場がなかったのだ。しかし、嘉助はとっさに判断した。
崖の先は同じく崖であった。間が底であったのだ。失敗したならば、死を意味するのであった。
「二人とも前をしっかり掴んでいたください。今から、向こう側の崖に飛び移ります」
嘉助は一か八かの描けにかけた。なぜ、嘉助はそこまでしてまでも二人を助けなければならなかったのだろうか?
それには理由があった。つい最近、一人娘を飢饉で亡くしており、絶望感でいっぱいであった。その時に奉公の時に娘のようにかわいがった房江が目の前に現れたからだ。嘉助は我が娘を想いだし、ほっておくことはできなかったのだ。
「よし、今から行きます。覚悟していてください」
「はい」
房江も哲夫も悲愴な覚悟であった。
「行け、飛ぶんだ」
嘉助は馬を強く鞭で叩いた。
バチバチ
ヒヒヒーン
ガタガタ、バン
なんと、向こう側の崖へ飛び移ることが出来た。それは三人の想いが天に通じたのだった。
そして、港へ向かった。しかし、待っていたものは冷たかった。
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