奉公先にて

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奉公先にて

 激しい雪が降る中で房江は青森の小さなな村から、京の置屋という芸者達が客をもてなすところへ奉公へ行くのだった。青森は寒さが厳しく、あかぎれした白い小さな手は痛々しかった。それは、あたかも房江の心とこれから起こりえる事を象徴していた。そして、置屋の辛い「おつとめ」が待っていたのだ。  房江と両親、兄妹との別れの時を迎えた。それは涙ながらの別れであった。 「お父さん、お母さん……」 「房江、どうか、気をつけて行くんだぞ」 「おじちゃん、どこに行くの?」 「ああ、お嬢ちゃんは馬車に乗って京に行くのだよ」 「京とはどのようなところ?」 「ああ、それはもう、賑やかで華やかところだよ」 「おじちゃんは誰?」 「ああ、嘉助という。安心しなさい京まで連れて行ってあげるから」  嘉助は優しく、房江の面倒を良くみてあげていた。嘉助には一人娘がいたので、房江がそのように思えたのかもしれない。房江は、まるで、父親のようにも感じた。馬車が走り出してから、房江は村から出発した時の両親の事が頭によぎった。ふるさとが恋しかった年頃である。  お父さんが恋しかった。お母さんが恋しかった。兄妹が恋しかったのである。  京へ到着すると、目の前には立派な屋敷があり、それが置屋であった。目の前には京の賑やかで華やかな世界が広がっていた。房江にとっては不安が大きかったものの、あまりに華やかさに胸を打たれた。  玄関をくぐると、房江の前に置屋の女将が現れた。房江からしてはあたかも女狐の面を被っているようにも思え、恐怖心を覚えたのだ。それを察したのか、女将は優しく声をかけた。 「まあ、器量のいい娘が入ってきたのね。あんた、心配いらないわよ。なんでも青森からやってきたのかい。ここは温かくて食べるものにもそう、困らないわよ」  置屋での房江の部屋は青森で住んでいた頃と違い、部屋も広く、窓からは五つに重なる塔もみえ、京の華やかで美しい街並みが見えたのだ。到着したころは京の町に夕日が沈み幻想を醸し出していた。  房江はそれでも、不安でいっぱいであった。奉公先へ来た頃は幼かったので、床の拭き掃除や皿洗いなどの下働きであった。あまりの辛さに遠く故郷を想いだしながら、庭の木に隠れて泣き出す事が多かったのだ。房江の着物の袖は涙で溢れていた。  房江も年頃になると、器量の良さもあることもあり、女将の判断で芸者として育てられることになった。三味線に踊りに客との接客などである。  そこには厳しい稽古が待っていたが、なんとか房江も客前に接客できるように成長していったのだ。  房江は接客を苦手としていたが、器量が良いため芸者として人気はあった、しかし、辛かったのだ。また、人気があるからゆえ、芸者同士での、客を取った取られなかったという些細な争い事にも苦しんだ。  そのような時であった。置屋の女将の一人息子に哲夫という青年がいた。哲夫は普段は置屋の帳簿などをつける仕事をしており、社交的でなかったため、京には特に親しくている友人もいなく孤独であった。  しかし、背丈も高く好青年であったために、芸者達からの憧れの的であったのだ。その芸者達の一人が房江でもあった。  房江にとっては手の届かぬ存在であった事に加えて、あまりに恥ずかしかったため、近くに行く事すらできなかったのである。障子の隙間から見える哲夫を見ては頬がうっすら赤くなるほどであった。  哲夫は普段の芸者達の接客を見ており、房江の事が気になっていたのだった。それは、あまりに房江の懸命な姿がまるで美しくて、愛おしく感じたからだ。しかし、哲夫には悲しい運命が待っていた。それは、藩士の一人娘との婚約を取り交わしており、1年後には婚姻する事が決まっていた。それは置屋にとっての、いわば政略結婚と同じようなもので、哲夫の意にそうものではなかった。  二人の距離は近いようで遠いものであった。
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