その銃を撃つ、理由を教えて。

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 結局のところ“どうしても消すしかなかった”理由にも、“消して許される理由”にもならないような気がしていた。  桃太郎や狼と七匹の子ヤギについては言わずもがな。  結局みんな、“相手が悪者で邪魔だったから殺していいと思った”でしかない。  大人達は本当に、あの物語でそんなことを私達に伝えたかったのだろうか。それが、本当に許されることなのだろうか。 「お母さん、あのね……」  絵本の世界を旅してきた後、私はお母さんに思ったままを話したのだった。するとお母さんは私の手を握りながら、“沙美亞にはまだ難しいかもしれないけれど”と伝えたのである。 「この世界では、今もたくさんの人が、人を殺しているわ。その多くの人が、“自分がやっていることを正しい”と思っている。そして自分に都合の良い“人を消してもいい理由”を口にするわ」 「自分にとって都合が良かったら、人を殺してもいいの?」 「違う。……人を消していい理由、殺していい理由はいつだって……自分にとって“都合のよいもの”しかないということ。本当はね。人を殺してはいけないの。追い詰められてどうしても殺すしかなくなってしまう人もいるけれど……そうであったとしても“殺していい理由があった”なんて思ってはいけない。それはいけないことなんだ、って指をさされる覚悟。あるいは。自分も殺される覚悟が必要なの」 「じゃあ、絵本のみんなは?」 「その覚悟をしていないし、気づいてもいない。だって、嫌いな奴を踏みつけていなかったことにしてハッピーエンドって思っていた方がすっきりするから。都合が悪いことは見て見ぬふりをしてるんだと、お母さんはそう思うのよ」  だからね、と彼女は告げる。 「忘れないでね。大切なことは……同じ物語を見ても、何を学ぶかは沙美亞が選べるということ。彼等を見て“悪者は殺してもいいんだ”って思うのか、“悪者を殺した罪の重さに気付かないのは恐ろしい”って思うのかは、貴女が選べることよ。お母さんとしては……後者に気付いてくれた貴女を、とても誇りに思うわ」  その日、その言葉は。私が一生覚えて、大切に抱えて生きていくものとなったのだ。  知らない方が都合がいいことが、この世にはたくさんあるかもしれない。気づかないでいられたら、気持ちよく片付けられることも。  それでも私は、大人なるまで問いかけることを忘れたくないのだ。  愛がなければ、真実は見えない。  どうかその銃を撃つ、理由を教えて。貴方もどうか、考えることをやめないで、と。
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