グローブ

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ジャンパーのポケットに入れているのに、すっかり冷え切ってしまった手をこすり合わせて、俺はクリスマスツリーの前にいた。 「くぅぅぅそれにしても寒いなぁ。」 今朝ニュースで、いつも見るアナウンサーが身を震わせながら言っていた通り、今日は大寒波が訪れているようだ。 音を立てて吹く風はもはや冷たい。白い息はマスクの中を温めるための暖気になり、それでもここに立っているのは人を待っているためだった。 「ごめん、お待たせ。」 「うん。」 「あれ?そういう時は、待ってないよって言うんじゃないんだ。」 「言ってほしい?」 「うーん、じゃあ、言って。テイクツー!はぁはぁっ、ごめんっ、お待たせ!」 「さっきそんなんじゃなかったじゃん!」 「あはは、そうだっけ、忘れちゃった。」 「行こっか。」 「うん。」 冷たい手をポケットから抜き出して手をつなぐ。彼女の手も同じように冷たいからか、温かいとは感じなかった。だが、クリスマスツリーに飾られた無数の明かりだけが夜空に光っていたのに、彼女との冗談交じりの挨拶で空気も明るくなった。 彼女のこういうところが好きだと、会うたびに思わされ、愛しさでいっぱいになる。 「どんな店予約したの?」 まるでずっと夢を見ている心地がしていた。でも、いつか終わる夢よりずっと続くだろうと強く感じていた。 「うん?どこだと思う?」 「うーんとねぇ、私中華が好きだから中華かな。」 「え、そんなこと初めて聞いた。ってか、クリスマスなんだから中華じゃないでしょ。」 「そうかなぁ。正解ちょーだい、ミャンマー料理とか?」 「なんで、急にミャンマー・・・。正解はね、あ、着いたここだ。」 つい先日も一人で行ったホテルが目の前にそびえたっていた。このホテルの上の方の階にあるレストランで今日晩餐をするために、この日のために数回下見したのだ。おかげで目に飛び込んでくるその高級さに驚きも感動もすっかりない。 今日はクリスマスという特別な日であり、付き合ってからちょうど3か月目の記念日だった。 「まあ、記念日なんて気にしてるのは俺だけだけど。」 「なんか言った?ってか、え、すごい!このホテル!え、今日ここのレストランでご飯なの!え、先に言ってほしかったなぁもっといい服着てきたのに・・・。わぁ!すごい!すっごい明かりで、まぶしい!」   感嘆と嬉しさと小さな後悔が入り混じったかのような、複雑な驚き方をしていた。俺の肩を叩いたり、自分の手を叩いたり、その様子を見ていて俺は心が満たされた感じがした。 「レストランは、10階かな。」 「え、大丈夫?すごく高くない?ここ、私払えるかな・・・。」 「いいよ、気にしなくて。俺が誘ったしね。」 「うーん、うん!ありがとう!」 その返答に少し笑みがこぼれる。 会話が途切れ、高級さに少し圧倒され、10階に行くエレベーター内で沈黙が広がった。窓から見える道路の様子は、どんどん遠ざかっていくように感じた。さっき待ち合わせをしたクリスマスツリーが小さく見える。まるで現実から飛び立っているかのようで、少しふわふわと浮いている気がしていた。 「今日はほんっとに美味しかった!素敵な1日になったと思う、ありがとう。今日のこと、たぶん絶対忘れない。」 「たぶんって・・・。はは、でも、うん、俺も忘れない。あ、そうだ、持ってきた?」 「プレゼント?もちろん!これからこの日の恒例にしたいね。」 「そうだね、じゃあ、せーので渡そう。」 「うん」 「「せーの」」 息を吸い、身体を動かして声をそろえる。 待ち合わせもしたクリスマスツリーの下、ベンチに座って俺も彼女もカバンの中から小包を取り出し交換した。夜も深くなって風はやんだ。 周りの店の扉が開いて、中の店員が家族連れに手を振っている姿がちらっと見える。サンタの着ぐるみが街を練り歩き、すれ違った子どもたちにプレゼントと言って小さいおもちゃをあげている姿も見える。その横で俺たちはお互いにもらったプレゼントの紐をほどいた。 「開けるね。」 「うん、俺も開けるね。」 自分が開けるのも楽しみだが、彼女が俺のプレゼントを開けるのも楽しみだった。彼女が気に入ってくれるかちょっと心配で楽しみなのだ。 そんな思いをわかっているのかわかっていないのか、彼女がさらっと小包を開けた。中にはとても暖かそうな白い耳当てが入っていた。 「わー-!かわいい!さっすがぁ、わかってるじゃん、かわいいの。うふふ、ありがと。」 「でしょ?でもね、君がつけるとたぶんもっと可愛いと思うな。」 「ふふふふ、もう嬉しすぎて笑いが止まらないよ。ああ、寒いのに熱いわ。あっねえ、開けないの?」 「あ、ごめん、見とれてた。開けるね。」 「うん。」 きっとさっきの俺の気持ちを今彼女も味わっているだろう。箱を開けると、中には青いモコモコの手袋があった。 「わーー温かそう!色もきれいだし、ほんとにありがとう。今にぴったりだね。」 「つけてみて。」 「うん。」 ゆっくりとその淡い青の手袋をはめる。はぁ、と温かそうな吐息がついつい漏れる。 「ね、手貸して。」 「ん?」 差し出された手を温かい手袋をはめた自分の手で包む。二人は笑い合った。その途端、また周りの空気も暖かくなった気がした。 互いの手を絡めて、そっと顔を近づける。彼女は目を閉じその美しい唇を俺に近づけた。 冷たい冬、 だけど温かい感触に包まれてい・・・・ いなかった。 「つ、冷たっ」 日の出前の暗い朝。何かにぶつかってこけてしまったのか、車道に俺の古ぼけた自転車が飛び出している。俺は黒いコンクリートに口づけをするように地面に倒れていた。変な味がした。  「ああ、俺は、寝ててこけたのか・・・。」 昔の夢を見ていた気がする。こんな寒い冬、温かいわけがないのに。心も、温まっているはずがないのに、目から出た涙が頬で凍る。 「ん、やばい、間に合わない。」 慌てて自転車を起こしてまたがる。周りの視線は何も感じない。誰も俺に興味がないのだろう。ハンドルを両手で掴み直す。青い手袋から破れ出た親指が寒風にさらされてもはや痛い。 重いペダルをこいで走らせる。ここを抜ければ広場だ。職場まであと少し。 大きくそびえたつモミの木が見えてきた。この町のシンボルでありながら、クリスマス明けの今日、明かりのつかない無数の電球が縛っていた。そばを自転車で走り去る。 その木の向かい側、白い耳当てをつけた女性が逆方面に走り去っていった。俺の目はまた半ば閉じていた。
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