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「もしかして、ちょっと痩せた?」
ヒールをカツカツと響かせながら待ち合わせのファミレスに入って来た歩美は、私をひと目見るなり眉間に皺を寄せた。
「うん、ちょっとね」
「馬鹿ねぇ。今が一番大事な時期なんでしょ。ちゃんと栄養摂りなさいよ」
「そんな事言われたって、喉を通らないものは仕方がないじゃない」
「月並みな事言うようだけど、あんた一人の身体じゃないんだからね。お腹の子に何かあったらどうするのよ」
歩美の無遠慮な物言いに、私は思わずドキッとする。自分が妊娠しているという事は、他の誰にも知られてはいけない秘密のような気がしていた。でもよくよく考えてみれば、周囲の赤の他人にとってはどうでもいい事に気づかされた。
「何かあったらって……そもそも産むかどうかすら決まってないのに」
「だったらなおさら大事にしなきゃ駄目じゃない。赤ちゃんの成長に悪影響があるような生活しておいて、やっぱり産みますなんて事になったら取返しつかなくなっちゃうじゃないの」
ぐうの音も出ない。
歩美は昔からそうだった。彼女は私が入社した広告代理店の同期にあたる。入社した日も一緒なら、退職した日も一緒。ただし歩美の場合は直属の上司をセクハラ被害で告発した上、自ら三行半を叩きつけたと言うのだから、這う這うの体で逃げ出すように辞めた私とは丸っきり状況が違う。
しかしながら私達はなぜかしら波長が合うようで、会社を辞めた後も、小まめに連絡を取り合う関係を保っていた。
礼司には言えないと悩む私が、唯一相談した相手が歩美だった。電話口で話を聞くや否や、歩美は産むしかないよね、と断言した。
「電話でも言ったけど、あんたの彼氏だって、絶対産めって言ってくれるんでしょ? だったら悩む必要ないじゃない」
「でもこんな無職のまま子ども産んじゃったら、その後が大変でしょ。子どもが大きくなってきたから働くって言っても、何の経験もスキルもなかったら雇ってくれるところなんてないじゃない。それに、万が一離婚するとかになったらどうする? それこそ生きていけなくなっちゃうもの」
「それが考えすぎだって言ってんのよ。今の世の中、仕事なんていくらでもあるしどうにでもなるんだってば」
「どうにでもって言われても、今の今ですらどうにもなってないのに……」
「あたしに言わせれば、だからこそ今目の前の問題だけでもなんとかしなさいって話。望んでもいない子ども作っちゃった癖に、何年後がどうとか心配してる場合じゃないでしょ。あんたが今最優先に考えるべきは、お腹の中の赤ちゃんの事。そのためには一秒でも早く彼氏に話す。それ以外の事は、その後で考えればいいのよ」
歩美は流石だ。一人で悩んでいるとぐるぐると堂々巡りしてしまう考えが、半強制的に交通整理されて前へ前へと押し進められる感覚がしてくる。
「今は……八時回ったとこか。そろそろ電話してもいい頃じゃない? 今ここで、電話しちゃいなよ」
「えぇ、今?」
「うん、あたしも聞いててあげるからさ」
それでいてちゃんと側に寄り添ってくれるという安心感もある。持つべきものは親友だと心底思った。
震える指でスマホの画面をなぞり、礼司のダイヤルをタップする。耳に当てる。鳴り響くベル。一回……二回……。
「もしもし、里穂?」
きっかりニコール目で、礼司の声が飛び込んでくる。その瞬間、目の奥が熱くなった。
「……もしもし、もしもし? 里穂? どうかした?」
「あ、あの……」
灼けた石でも投げ込んだみたいに喉の奥が詰まって、言葉が出ない。そんな私の目の前で、歩美が宥めるように右手を上下に振る。無言のまま、ゆっくりと口元だけが動く。お・ち・つ・い・て。歩美の笑顔に、何度もうなずきを返す。
「……急にごめんね。今……大丈夫? 仕事、もう……終わった?」
「いや、まだ会社だけど、僕しかいないから電話は大丈夫。どうかしたの?」
「実は……ね。報告が、あって……」
「報告? もしかして仕事に進捗でもあった?」
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