言えない

5/6
7人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
「それとはまた、別の話なんだけど……」 「もったいぶるなぁ。もしかして、僕が当てればいいの? なんだろう。いい話か、悪い話か……うーん、全然思いつかないぞ」 「いい話……かもしれないし、そうじゃない……かもしれないけど」  なんの疑いも持たない礼司の声は、どこまでも明るさに満ちていた。  歩美が早く言えと言わんばかりに人差し指を突きつけてくる。私はこくりと頷き返し、大きく深呼吸した。  電話の向こうにある礼司の顔が脳裏に浮かび、言葉を紡ごうとした唇が震える。 「……妊娠……したみたいなの」 「は? 妊娠って……里穂が?」 「うん……」  スピーカーの向こうから、急に音が消えた。  それまで店内に響いていたBGMや喧騒までもが止んで、ガラスの檻にでも入れられたみたいな静寂が落ちる。  でもそれはほんの一瞬の出来事だった。 「ええぇぇぇっ、里穂のお腹の中に赤ちゃんがいるって事? 信じられない! 里穂、それっていつわかったの? そんなおめでたい話、なんでもっと早くしてくれなかったんだ」 「早くって言われても、私だって心の準備とか、その……」 「すごいね! 僕と里穂の間に、子どもができるなんて! こうしちゃいられない! 明日にでも会社に報告して、一日でも早く東京に帰してもらえるよう交渉しなくちゃ! ありがとう里穂、本当に嬉しいよ! 本当にありがとう!」 「あ、ありがとうって、ちょっと、礼司、その……」  電話越しの熱気が伝わってくるのか、テーブルの向こうでは歩美が声を押し殺して笑い転げている。 「で、でもほら、こういう事って色々話さなきゃいけない事とかもあるでしょう? まだ両親にも言ってないし、今後の生活の事とかもあるし……」 「そうだね。いっぱい話し合わないとね。大丈夫、何も心配しなくていいよ! ひとまず今週末には有給取ってそっちに行けるようにする! なんなら今すぐにでも飛んで行って、里穂を抱きしめたい気持ちだよ! あと数日だけ、一人で我慢していてくれる? それにしてもびっくりだなぁ。最後に帰ったのって、確か三ヵ月くらい前だったよね。コンドームじゃ百パーセントは避妊できないって言うけど、実際こういう事ってあるんだなぁ。もちろん、覚悟してたからいいんだけどさ。ああそうだ、うちの親にだけでも先に話しておこうかな。里穂ごめん、いったん電話切るよ!」  興奮のまま電話は切られ、私はなんだか拍子抜けした気分になった。 「だから言ったじゃない。さっさと言えって」  おしぼりで目元の涙を拭いつつ、歩美が言う。 「全部聞こえてた?」 「内容まではわかんないけど、はしゃいでるのはわかった」 「そっか。歩美の言う通りだったね。心配させてゴメン」 「してないしてない。こうなる事はわかってたんだから、これっぽっちもしてないって。あんたが一人で悩んでただけ。よぉし、せっかくだから乾杯でもしよっか? あ、妊婦は飲めないんだっけ? ざーんねん。あたしだけいただいちゃおー。店員さん、生ビール一つ」 「意地悪!」  言葉とは裏腹に、歩美は心の底から嬉しそうだった。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!