火樹銀花

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◇火野夢也は夢を見ない  夢に向かって頑張れる子になってほしい。  なんて、あまりにも直球すぎる願いを込めて夢也と書いてユウヤ。親の願いも空しく、大学を卒業しても未だに夢なんて見つからない。そんな消極性が見抜かれてか、就活も全く上手くいかなかった。  志望動機は「金が安定してほしいから」の何がいけないのだろう。2019年度の就職率はなんと98%らしいが、俺は超少数派の2%に入ってしまったらしい。  しかし、捨てる神あれば拾う神ありだ。当時、話題になりつつあったシェアリングなんちゃら型という出前サービスの配達員に採用された。それから1年も待たずして、2020年の春以降のコロナによるテレワークの浸透と共に、俺たちの需要はうなぎ登りだった。 「こんにちはー、ユーバーイーツです」 「あ! あぁ、どうも」  インターホンから声が漏れ、すぐに玄関から女性が現れる。彼女──内樹さんがこうして出てくる時は基本、パリッとしたシャツにゆとりのあるスウェットのパンツ姿だ。  そんなスウェットにしがみつくように、あどけない顔の娘さんが引っ付いているのも見慣れた光景だった。 「今日は保育園お休みなんですか?」  ひらひらと手を振ると、女の子はニコニコと手を振り返した。俺からハンバーガー屋の袋を受け取りながら、内樹さんは苦笑する。 「朝、ちょっと熱が高かったので……今は下がったんですけど」 「大変っすね、でも元気そうで良かったっす! じゃ、またお願いしまーす!」  ユーバーイーツは基本、先着順で注文を受けるので決して指名なんてされない。しかし、2021年に入ってからは少しずつ全体の注文数が下がっていた。他の出前サービスの充実ぶりもあるのだろうが、去年は特需と言ってもいい。 また、元の生活に戻っているのだという前触れを、肌で感じ始めていた。去り際の言葉は、せめてもの抵抗だ。  そして、一仕事を終えての休憩時間中。 「健気だねぇ」  そんなのんびりとした銀杏さんの声に、胸は妙なむずむず感を覚えた。 「この前、給料下げられたんすよ? これ以上、手取り減るとかマジで無理」 「そんなに言うなら夢也くんもお店持ってみたら? キッチンカー販売、楽しいよ。毎日いろんなお客さん見られるし、初期費用も少なめだし」  いちょうのマークが目印の幟では、『いちょうクレープ』の文字が風に煽られて踊る。  苗字をそのまま使い、いちょうの葉の形は縁起がいいだなんだ、と教えてもらったがあまりよく覚えていない。  最近になって、いちょうクレープが俺の担当地区に時折やってくるようになった。ユーバーの注文が落ち着く昼過ぎのおやつとして見つける度に通っていたら、休憩時間にダベる程度には銀杏さんとの間に縁が芽生えていた。 「初期費用ってどんくらい?」 「俺は300万くらいだったかな」 「さん、びゃく……っ!? そんな貯金ないっすよ、夢のまた夢っすね……」  一瞬、真面目に聞こうとして損した。ふわふわとした生クリームたっぷりのクレープにかぶりついて、めいっぱい甘みを堪能する。疲れた時の甘味ほど美味いものはない。これもまた、夜に目一杯稼ぐためだ。 「『夢なんて言ってるうちは叶わない』」  急に裏声で銀杏さんが呟く。指先でくるんと宙に円を描く、魔法少女のような素振りとセットで。 「何すか、今の……」  少女っぽさを醸し出そうとするおじさんに引いてしまい、隠すことなく声音にそれが滲み出てしまった。そんな俺の態度に気分を害した風もなく、銀杏さんは言葉を続ける。 「バーチャルアイドルの台詞なんだけど、俺はこれに背中押されたんだよね。いい年したおっちゃんだけど、夢なんて言わずに今始めちゃってもいいのかなって」 「へぇ……銀杏さん、意外とそういうの見るんすね」 「リッカちゃんって言うんだけど、夢也くんも良かったら見てみてよ。今日も生配信あるから」 「マジでハマってるじゃないっすか……」  バーチャルアイドルが流行っているというのは、ネットをやっていればチラホラと耳にする。自分から見に行ったことはなかったが、疲れ切って家に帰ったその日。風呂に入る気にもならず、ベッドに転がり込んでスマホでリッカちゃんなるアイドルを検索した。  リッカと音でしか聞かなかったが、『六花』と書くらしい。雪をモチーフにしたキャラクターらしく、真っ白な見た目でどこぞの会社とタイアップもしているようだった。  ファンもそこそこいるようで、配信が始まると時折金額が派手に表示されていた。 「ただ話してるだけでお金もらえるなら、俺もやってみようかな……」  そんな幻想はすぐに打ち砕かれる。  六花ちゃんが人生相談という名目で人の話を聞き、そして返答する。そこには確かな誠実さが存在しつつも、きちんとエンタメとして成り立たせる話術というものが備わっていた。下手なお笑い番組を見るよりも断然笑える。 「よくこんなに話の引き出しあるよな。たまに毒吐くのも面白いし……」  かと思いきや、きちんとファンサービスなるものにも応えてくれる。3Dモデルの向こうにいる誰かの、その人間性の厚みを知る度に、俺は自分の薄っぺらさに絶望した。嫌悪すら覚えるが、ここで目を背けたら負けを認めるようでそれさえできなかった。配信が終わっても、眠ることすら忘れて彼女のアーカイブや切り抜きを見まくった。  そして、朝を迎える頃には…… 「六花さまー!」  彼女に堕ちていた。  その日からは、なけなしの貯金を全て立花さまに貢ぐ生活が始まった。まず切り詰められる食費から捻出し、今まで適当に受けていた出前注文もいかに効率良く稼ぐか頭を回すようになった。配達時間を短縮するために街の道という道を頭に叩き込んだ。 「くっそ、これじゃ今月10万も六花さまに贈れない……」  思いついたのは、他の出前サービスとの同時契約だった。そもそも給料が減っているのは、他の配達員に仕事を取られているからのはずだ。それならば、自分で複数のアカウントを持っていれば、同時にたくさんの注文を受けられるではないか。  最初は2つの同時掛け持ち。やがて、特定のファストフード専門の配達員も掛け持ちするようになって、気付けば1日中走り続けていた。 「今日もお疲れ様」  配達先は内樹さんだった。今日の出前は海鮮丼だったか寿司だったか。とにかく魚介系だった。それより早く次の配達に行かなければ。 「あの、顔色悪そうですけど、大丈夫ですか?」 「平気っす。やっと人生の目標というか、捧げる相手ができたんでむしろ楽しいんすよ。じゃ、またお願いしまーす」  とにかく金を稼がなければ。今夜も六花さまの配信がある。今月はまだ5万しか贈っていないから、これでは俺の愛は伝わらないだろう。  電気代節約のため、真っ暗な部屋の中でスマホ画面を眺める。真っ白な長髪を揺らす六花さまを見るだけで、鼓動がトクトクと速まっていくのを感じた。  配信開始5秒、景気づけに5000円を彼女へと投げた。 『うわー! 今日もありがとう、ドリドリドリームさん!』  プレゼントを贈った瞬間、名前と共にありがとう、と呼ばれるのがもはや快感だった。しかも、『今日も』と完全に存在を認知されている。頭の中で「勝った」と誰かが囁いた。  そんな有頂天な俺の目に飛び込んできたのは、配信を見ている人が打ち込めるコメント欄だ。 『なんか最近、六花ちゃんキャラ変した? 俺、前のが好きだったんだけど』  一体、何を言っているんだ、こいつは? 六花さまが変わった? そんなわけがないだろう。そりゃ長くやってれば、多少の変化はあるかもしれないが、どうして成長と前向きに受け取らない? 狭量すぎるだろ。今、こうして動いて喋ってくれてるだけで至高だろうが! 自分は分かってますって古参感出してんじゃねーぞ、くそが。  気付けば怒りのままコメントを送り返していた。すると、また別のファンから反論コメントが届き、苛立ちと共にまたコメントを送る。六花さまが仲裁しようと何か喋っていた気がするが、その声さえも聞こえなくなっていた。  後日、その日の配信は伝説のファンコメント合戦回としてネットの海に晒された。翌日はSNSで六花さまの名前がトレンドに上がり続けるほどだった。  おかげでファンも増えたが、定期的にドリドリドリーム宛てに喧嘩を売ってくる輩も増えたため、俺はやはり走り続けるしかない。  彼女に貢いだ額でマウントを取るのが、1番分かりやすいからだ。 「さて、今日も稼ぎますか」  確かに夢を見ている暇はない。  やるべきことが見えたなら、寝ている暇なんてないのだから。
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