ほおずき、弾けて

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 同窓会の深酒のせいで、翌日の朝は起きられなかった。本当は、朝イチで行きたいところ、行かなければならないところがあったのに。  昼になってようやく布団から離れられるようになった弘也は、のろのろと支度をして、外出した。 「あら、あんた、出かけるの」 「んー。ちょっとな」  行き先を告げるのは小学生まで。大学生、成人して都会でひとり暮らしをしている息子を、母はほどよく放任する。 「あっそ。じゃ、帰りにお味噌買ってきてもらえる? なんでもいいから」  白がいいとか赤がいいとか出汁入りだとか、味噌にもたくさんの種類があることを、ここ半年あまりのひとり暮らし生活で弘也は学んでいた。あまりの大雑把さに、スニーカーの紐を結ぶ手をぴたりと止めた。  そしてこれまでの母を顧みて、彼女が本当にどのメーカーのどんな味の味噌でもいいと思っているのだと確信し、弘也は「わかった」と請け負い、外に出た。  半年やそこらでは、田舎の町並みは変わらない。一年間通った予備校の最寄り駅周辺は、いつも工事が続いていた。様変わりしているに違いない。  あまり楽しい記憶はない場所なので、用事がなければ行かないだろうけれど。  目的地は遠くない。高校に通う道とは反対方向に進むと、急に開けた駐車場付きの建物に出る。  都会に行って思ったのは、コンビニの駐車場が狭すぎるということだった。向こうの友人にそう真顔で言ったら、「田舎が広すぎんだよ」と笑われた。  たどり着いたのは、コンビニではない。ここに来たのは、子どもの頃、秋祭りと称したイベントのときだったか。馬鹿みたいにでかいかぼちゃの重量を当てるクイズで、惜しいところまでいったのを覚えている。 『伊崎雄二郎は、大学に行かず、農協で働いている』  元クラス委員の田中が吐き出した事実に驚いたのは、弘也だけだった。地元から出ていない他の連中はみんな、農協の前を通りかかったり、仕事で世話になったりしていた。  俺だけが、何も知らずに生きていた。大学に行けば、会える。驚かすことができる。ただそれだけを目標に、ひたすら勉強した。  クラスの中で、弘也が浮いていたわけではない。男女問わず友人が多く、特定のグループ付き合いはなかったが、誰とでも仲良くやれていたと、自負している。  それでも、一年間の浪人生活、そして半年の大学生活というブランクは、友人関係を変質させ、あるいは消滅させてしまった。伊崎のことを教えてくれた田中とだって、弘也はうまくやれていたのだ。  なのに彼は、伊崎がどうして指定校の内定まで取っておきながら、A大に進学せず就職したのかを教えてくれなかった。勤め先を告げることすら渋っていたのを、どうにか口説き落として、ようやく吐いたのだった。  平日の午後、残暑というには激しすぎる直射日光の熱に焼かれつつ、弘也はそっと中を覗いた。農協というからには、農家の人間が用事があって訪れるはずで、伊崎はその対応をするだろう。  程なくして老婆がやってきた。もんぺ姿にタオルを首から下げ、麦わら帽子をかぶっている。畑からそのまま出てきたような姿の彼女は、窓口に向かう。  果たして、彼は姿を現した。  スラックスとワイシャツ、ネクタイは普通の勤め人といった風だ。ダサいアームカバーをつけていて、高校時代と変わらないのは、眼鏡だけだった。  そう、本当に、眼鏡だけ。レンズの奥の目、表情は、弘也たちクラスメイトに冷ややかに向けられていた視線とまったく違っていた。  何を話しているのか、ガラス張りの建物の外から観察している弘也には、わからない。老婆に向けられた柔和な笑顔は、仮面であってくれとさえ思う。  しばし呆然としていると、用事を終えたらしい老婆が、ゆっくりと建物から出てきた。ハッと我に返った弘也は、彼女の後を慌てて追い、「あの!」と、声をかけた。  小さな田舎町であっても、すべての住民と顔見知りというわけではない。彼女は突然話しかけてきた若者に、首を傾げた。 「あの、すんません、急に。俺、あいつの……伊崎の同級生なんすけど」  我ながら、無茶苦茶な声かけの仕方である。田舎の警戒心皆無なお節介老婆にしか通用しない。  訳ありそうに視線を逸らし、自信なさげに首を引っ込める。たったそれだけの仕草で、老婆は勝手にこちらの事情を想像する。大学の同級生もそうだが、女子というのは妄想力過多で、それは年を取っても衰えることがない。  老婆は「あれあれあれ」と、意味のない感嘆詞を挟み、それから首を傾げた。 「伊崎……さん? っていうのはどなたのことかしら?」  田舎の老婆とは思えない、上品な言葉遣いのギャップに感銘を受けるよりもまず、彼女の言葉の中身に、弘也は混乱する。  伊崎じゃない? あれが?   愛想笑いができるようになったなあ、とは思っていた。他人の空似であれば、さもありなん。 「え、あの、おばあちゃんがさっき話してた、農協の人の名前は……?」 「ああ!」  パッと老婆の頬が色づいた。弾けたのは笑顔だった。どうやら伊崎(仮)が、お気に入りらしい。 「無理(むり)さんのこと?」  無理さん。  弘也は押し黙り、老婆が無理という男がどれほど素晴らしい人間かを熱弁するのを、聞き流していた。伊崎の人となりを確かめに来たわけだが、もはやそれどころの話ではない。  彼女の話を適当なところで切り上げて、弘也は歩きながら、高校時代のツレに電話をした。 「うん。うん、そう。来れる? ……は? 昨日の今日だから嫌? 俺のおごりだぞ、来いよ」  今日の夜の飲みの約束を取りつけて、弘也は通話を切った。 「無理さん……ねぇ」  その名前には、聞き覚えがあった。嫌というほど。
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