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 金色の楽器を握る彼女の左手は震えていた。  ふるふると細かく、怯えるように頼りなく振動している。 「私もこわいよ、いつも」  古江は窓の外を見つめたままそう言った。  空には夜が混ざり始めていて、青から紫へのグラデーションで彩られている。 「だってキツいじゃん。自分が好きって思ったものを、全然ダメって言われるの。痛いし苦しいし想像するだけで恐怖だよ」 「古江にもこわいとかあるの?」 「あるよ。たまに耐えられなくなって空き教室に逃げ込んだりしてるし。昔も、今もね」  だから昨日美術室に来たのか、と腑に落ちる。  けれど意外だった。彼女はいつも自信に満ち溢れていると思っていた。  たくさんの人に認められて、目に見える結果に支えられて、自分の奏でる音は素晴らしいものだと信じて疑わないんだろうと思い込んでいた。  そんなわけないじゃない、と指先から伝わる震えが否定する。 「でもさ、こわいからもっと良くしようと思うんじゃない?」  窓から優しい風が吹いて、彼女の前髪が少し揺れる。右手の指がとんとんとピストンを小突いた。 「こわいから本当にこれでいいのかいっぱい考えるんだよ。この音でちゃんと届くかな、心に響くかなって悩めるの。今の自分はカンペキだーって立ち止まっちゃうほうが私はやだね」  彼女の言葉が美術室の隅から隅まで満たして、そこに立っている僕を沈めていく。  不思議と心地よくて、胸の奥からじんわりと熱が広がってくる。 「私は私の音でもっとたくさんの人を震わせたい。でもそのためには自分も震えなきゃいけないんだよ。これがあるから私はもっといい音を出せる。今も、これからもね」  太陽の光を浴びる彼女の横顔はトランペットと同じ色に輝いている。  美しい、と素直に思った。 「私はこの振動を愛してる」  ──瞬間、震えが止まった。  彼女が頬を膨らますと、ぱあん、と爆発するような音が響き渡り夕空を震わせる。  そのこわがりな手とは裏腹にとても力強い音だった。
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