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神子のこれまで
――――ツキ・アマギ。
それが俺の名前だ。黒髪黒目の平凡な顔立ち。この世界のウェントゥス王国に召喚され神子として迎えられた。
しかし、ただで神子として出迎えられるわけなどない。
俺を待っていたのは神子としての待遇を受ける代わりにウェントゥス王国の第2王子リーフ・ウェントゥスとの結婚だった。
決して神子としての待遇など要求はしていないのに、神子と言うだけで王子と結婚させられる。
さらには男しかいない世界だからこそ、男でも妊娠・出産ができる。
神子として召喚された俺は、子どもを作れる身体にされていた。
しかも顔が普通だと冷遇され、俺と同じ黒髪黒目の息子を守りながら細々と暮らしていた。
――――しかしそんな生活もある日終わりを告げる。
息子のルアが3歳になった頃。
「お前はもう出ていけ」
「は……い?」
滅多に顔を見せないリーフ王子が姿を見せたかと思えば、唐突なひと言だった。
「新たな神子が召喚された。お前のようなブスとは違う、とても美しく、才を持つ神子だ。私の夫としてよりふさわしい。つまりお前はもう用済みだ」
神子と言うだけが俺の価値。神子だからこそ、【勇者】であるリーフ王子と結婚せねばならなかった。しかし新たに見目麗しい神子が召喚されたのなら。銀髪にアメジストの瞳を持つ美しい王子にふさわしくないはずがないのだ。むしろ俺と結ばれたことがまず……あり得ないことだった。
そして俺の代わりが来たのなら……。
――――俺にはもう、価値がない。
「今晩中に出ていけ。明日以降も宮にとどまるのなら、不法侵入でガキもろとも牢屋行きだ。だが喜べ。お前に似たガキなどいらない。我が新たな夫が肩身の狭い思いをしては困ると言うもの。ガキは連れていけ」
「……」
せめて子どもだけは自分の手に残ることが救いか。しかし神子がもうひとり召喚されたのならば、既に自分など神殿には不要。
神殿にとどまるわけにもいかず、この宮にとどまるなどもってのほか。
やっと解放された。望まぬ婚姻から……。しかしとぼとぼと宮を出、王都を歩むとしても。
宮からはろくなものを持ち出せなかった。宮で与えられたものも、神殿で与えられたものも、リーフ王子の妃でも神殿が保護する神子でもなくなったツキには持つことを許されない。
まさに着の身着のまま。
このまま、どうやって生きて行けばいいのやら。子どもを、この子を守って生きられるだろうか。金も何もないというのに。
「まま、どこゆくの?」
「……どこだろうね、ルア」
不安げな我が子を抱き締めることしかできない。子連れで浮浪者だなんて……やっていけるだろうか。
「おい、こんなところに子連れたぁ……」
――――酒臭……っ。
柄の悪そうな男だ。
「へへへ、顔はたいしたこたぁねぇが……タダとは言わねぇよ」
一体何が言いたい。
「だがガキはいらねぇ。とっとと売りゃぁ少しは金になんだろ」
「……っ、何を言っている!この子は渡さない!」
俺が守らなきゃ、誰もこの子を守ってくれない。俺が、守らなくちゃいけない。
「あ゛ぁっ!?ナメた色売ってくれんじゃねぇかっ!思い知らせてやろうかぁっ!?」
誰も、そんなものは売っていない。この男が勝手に売っているだけだろう!?
子持ちの母親をそんな目で見て、自分の性欲を満たそうだなんて……反吐が出る……!
――――だけど……治癒魔法しか使えない非力な俺に……何ができるんだ……っ!
「おい、来いよっ!」
男が強引に腕を引っ張ってくる……っ!嫌だ……っ!せめて子どもだけは守りたい……そう思っても、必死に子どもを抱き締めることしかできない。
放して……っ、もう、放っておいて……!俺たちに構わないでくれ……っ!
必死で抵抗していれば、不意に腕に覚えた不快な感触が消える。
「ぐほぁっ」
さっきまで意気がっていた男が、ぶっ飛ばされて、地面に転がっている。
俺のすぐ傍らには……。
――――とてもきれいな瞳だと思ったのだ。
ダークブラウンの髪に、印象的なサファイアブルーの瞳……。
そして、右腕がなかった。
「てめぇ、何しやが……、ひ……っ」
再び食って掛かろうとする男が、喉を鳴らす。何故……?よく分からないが、どうしてか彼のことを恐ろしいものでも見るような目で見るのだ。
「ゆ……許してくれ……っ!俺は、別に……こんなところに親子がいたから声を掛けただけで……!」
嘘つきが……っ!子どもを売り払い、俺にいかがわしいことを望んだのではないのか……?
そして冷たい目でじっと男を見下ろした隻腕の青年は……静かに、しかし迫力のある声で告げた。
「俺の前から失せろ」
その言葉に、あの下品な男は脅えたように悲鳴をあげながら逃げていく。
「……あの……あなたは……」
どうして俺たちを助けてくれたの……?そして一体……何者なのだろう。
「……ここは……酒屋が多い。子連れで近付く場所じゃねぇ」
「……ごめんなさい……知らなくて」
何せ、神殿と宮殿内しか知らない。王都がどんな区画になっているかすら知らないのだ。
神殿では治癒魔法の使い方、祈り方を学んだ。
後は幸い話し言葉は通じたが文字の読み書きはできないので、それを教えられた。宮殿内ではマナーを習い、滅多に会いにも来ないリーフ王子の代わりに書類仕事などをさせられていた
最近では神殿での祈りの役目も減り、宮殿での書類仕事を押し付けられることが多くなった。
それも、新たな神子が召喚される前触れだったのだろうか。
――――しかし……王都での暮らし方、王都の区画、お金の使い方ですら、俺は知らない。
宮殿を追い出された場合の王都での生活の仕方だなんて、習うはずもない。
勝手に召喚しておいて、勝手に結婚させておいて……。
ある日勝手に追い出す。
この世界は……勝手すぎるのだ。本当に俺は何のためにこの世界に召喚されたのだ。せめて……この世界で授かった子どもと、幸せに暮らしたい。そんなささやかな願いすら、叶えるすべがないのである。
「家はどこだ。もう空も暗い。とっとと帰れ」
「……ありません……家なんて……帰る場所なんて……ないです」
ここは異世界。実家も頼れる親戚もいないのだ。家族は……ルアだけだ。
「……なら、来い」
「……え」
どうして……?そしてこの隻腕の青年についていってもいいのだろうか……?初対面なのに……でも。どうしてかその双眸からはなかなか目が放せなくて。
ゆっくりと立ち上がり、ルアの手を引く。
「ルア……おいで」
「まま、まだ歩くの?」
「その……もう少し、我慢してね。ルア」
少しかどうかも分からないが。
「……」
俺たちが追い付くのを待ってくれているのか、隻腕の青年にがこちらを振り向く。そしてそろそろとこちらに戻ってくれば……。
その片腕でさっとルアを抱き上げる。
「あの……っ」
大変なんじゃ……?その、腕は1本しかないのだし。
「来い」
「……は、はい」
俺じゃぁ、ルアを抱っこすることはできない。ひょろいし、筋力もない。それに比べれば青年も腕は細く思えるが……しかし3歳児を難なく抱き上げて歩いている。しかも俺の歩幅にも合わせてくれているようだ。
――――優しい、ひとなのかな。
青年は、昔は冒険者をやっていたと言う。こじんまりとした屋敷は、それほど広くはないが、日本の庶民の暮らしに慣れている俺にとっては、王宮よりはずっとずっと過ごしやすそうだ。
俺はその日から、その青年……セウ・シュヴァーツモーネの元で暮らし始めた。
まるでそして転がり込むように世話になっている。初対面だと言うのに俺たちを招き入れ、住まわせてくれている。
さらにはいつの間にやら、俺は子どものためにセウとの再婚を決めた。
召喚された世界で子持ちバツイチ、再婚まで経験するとは思わなかったが……せめて住む家があるのなら、だいぶましではあろうか……?
だからこそ、子どもを育てていければ。たとえ夫夫仲など冷えきっていようが構わないと、思っていたんだ……。
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