その三

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 空気がひんやりと感じるのは、ヴェリカの目の前の男が静かに怒っているから。  それはなぜか。  彼女は今までのやり取りを思い出し、彼がレティシアをちゃんと評価するように、ドラゴネシア辺境伯が不当な評価を受けている事に怒りを持っている公平な人だったと気が付いた。  あるいは、辺境伯と近しい人だったのでは?という疑問もわいた。  ならば、彼女は辺境伯を手にするために、彼女の真実を伝えるだけである。  そうする事に賭けた。 「私はいわゆる優男って嫌いですの。あのアランなんか、猫に生まれなくて残念ね、ですわ。猫だったら美しいって愛でていられるし、発情期には檻に入れてお終いですもの」  怒っていたはずの男は吹き出し、顔を背けて肩を揺らす。  それでも数秒後にヴェリカに向けて戻した顔は、十数秒前と同じぐらい静かに怒っているものだった。 「君が辺境伯を不細工な男だと思っているのは変わらない、よな。いや。彼を怖がらない女性であるというだけで良いのかな」 「これだから貴族の男は!!外見にばかり拘るなんてお人形さんなの?」 「君が外見に拘らないことは理解した。それで君は今まで一度も辺境伯と会った事が無いはずだ。王都に入った時のパレードにはいたが、彼は兜で顔をしっかり隠していた。君はパレードの先頭にいたジュリアーノ・ギランをドラゴネシアと取り違えているのでは無いかな?」 「もう!!私は最初からお顔も存じあげないと申してます。間違ってません。私が良いなと思ったのは、いぶし銀みたいな黒い甲冑に包まれた、あの素晴らしい体格の方ですわ。もしかしたら甲冑が素晴らしい造形なだけで、実は贅肉だらけで背が高いだけの方かもしれませんけれど」 「贅肉は無い!!」 「まあ、そうですの。あとはお顔ですが、人好きのするお顔立ちでいらっしゃったら文句は言いません。私だって美女では無いですから」 「――君は美人だよ」 「ありがとうございます。では自信をもってドラゴネシア様にご挨拶してきます。では、ドラゴネシア様への手土産に、まずはレティシア様を救出して参りますので離してくださいな」 「手土産?」 「ええ。レティシア様を救った女性となれば私への好感度は増すと思いますの」  ぶっ。  彼はヴェリカの腕から手を剥がさなかったが、もう片方の空いた手で自分の口元を押さえた。  大きな体を屈めて揺らぎ始め、ヴェリカは笑う男を微笑ましく思うどころか憎たらしいと脛を狙って足を持ち上げた。が彼女の足は標的を失った。 「もう!!素直に足を蹴られて、いい加減に私から腕を離しなさい」 「いやあ。離せないな。君は会った事も話した事も無い男と結婚する気なんだろう?だったら、俺でいいじゃないかって俺は思うんだ」 「あなたは遊び人ですわね」 「俺の言葉は本気には受け取りたくはないと?」 「一つ、私がドラゴネシア様と結婚を望むのは、彼が嫁の持参金を不要だと公言なさっていらっしゃるから。私には財産はありません。二つ、私の保護者である叔父夫妻とその娘達は私の幸せを望みません。形だけでも残念な結婚に見えねば、私は嫁ぐどころか修道院へと追いやられてしまうでしょう」  男は奥歯を噛みしめた。  ヴェリカは彼の怒りがヴェリカではなく、たった今知ったヴェリカの身の上にだと思え、胸の奥が温かくなった。  女の持参金は結婚する条件として重要だ。  爵位がある家の子供だろうが、お金はどこの家もあればあるほど良いのだ。  なぜならば、領地も財産も無い貴族の男性は、騎士になって立身出世する以外に財産を生むことができないのだ。  では、労働者階級に落ちてはいけない貴族の男が財を成すにはどうするのかと言えば、投資や賭けで所持金を増やすか、前述したように妻の持参金を手にすることである。  ヴェリカは男が悔しそうな表情をする事で、彼が持参金の無いヴェリカを嫁に出来ないと受け入れたのだと考えた。  彼女は男が自分を諦めてくれたことに対して安堵したが、なぜか彼女が押し殺していた「孤独」という悲しみが蘇りかけていることにぞっとした。  ヴェリカは目の前の男と話しているこの時間、亡くなった両親との暮らしが戻って来たような楽しさを感じてもいたと気が付いたのだ。
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