その三

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「関係のない人は遠慮してくれないか?」  ヴェリカがアラン達の話し合いの場に現われるや、侯爵家三男であるアランはヴェリカに向かって見下げる視線と声を投げ付けてきた。  そうね、この婚約破棄に目撃者がいたら大変ね。  ヴェリカは顎を上げ、さらに姿勢を正す。  ふふっと余裕そうな笑みさえ顔に浮かべれば、ヴェリカが考えていたように、気の弱い貴族の男はそれだけで気圧された様にして口を噤む。  ただし、アランが気が弱いのは正しいが、ヴェリカ自身が可愛いが先に立つ美女であるためのその効果、と言う事をヴェリカは知らない。  そもそも、ヴェリカの先の男性との邂逅については、その男性が美しき女性だと彼女の後を追いかけて来た事によるのである。彼の名誉のために言えば、付き人も無く暗い廊下を一人歩く女性が、危険な目に遭わないように陰ながら見守る、という騎士道精神であった。  さて話は戻すが、ヴェリカが自分の美しさに無頓着でも、「女」を武器として使っていた者は敏感だ。  急に現れた女に対して、まるで縄張りを主張する猫のように威嚇してきた。 「あら、慣れない場所で迷われたのかしら。それともエスコートの方に置いてきぼりをされたのかしら?お困りで可哀想ね」 「あらあら。あなたと違って男性の腕が無いと歩けない三歳児ではありませんのよ、わたくしは。わたくしは親友を迎えに来ただけですの。ねえ、レティシア様」  ヴェリカがレティシアに微笑みかけると、レティシアはぎこちない笑みを初対面のヴェリカに返す。ヴェリカはレティシアが骨の髄まで素晴らしき淑女なのだと思い知り、かえって小気味よさまで感じていた。  そうよ、ララや私の従姉妹達みたいな恥知らずに堕ちてはダメ。  淑女は淑女として下々を踏みつぶしてやればいいのよ、と。  ヴェリカはさも親友のようにレティシアに身を寄せると、いかにも女達の噂話だという風に誰にでも聞こえる声で毒を吐いた。 「ねえ、レティシア様。わたくしは最近楽しいお話を聞きましたのよ。妻となる相手の信用で買い物をしていたお間抜けさんが、その信用を失ったらどうなるのかしらね、というお話」  ヴェリカの台詞にレティシアは自分の力に気が付いた。  自分こそがアランを切り捨てる事が出来、アランはだからこそレティシアから自信などを色々失わせていたのだ、と。 「婚約破棄を君からしてくれ」  誰も聞いていない状況でアランの言葉に流されて「破棄の宣言」などしていたら、アランはレティシアの我儘だとして彼女の家に莫大な慰謝料を請求していただろう。  あるいは、別れたくないとレティシアがアランに縋った事で、アランの無駄な買い物のつけをレティシアが払わされることになるかも、と。  レティシアがさらに気が付いた事が、自分に婚約破棄を突きつけて来たアランの真実そのものだったのだとアランを見返す。  アランは気まずそうに表情を歪め、彼の顔色は青ざめている。  レティシアはヴェリカへと視線を動かす。  ヴェリカはレティシアに微笑み返す。 「婚約破棄されるなら、どちらから言い出した事なのか、ええ、親友の為にいくらでも証言しますわ」 「だから君は関係ないと言っている!!二人のことに口を挟むな」 「あら、お二人って、あなたとそのあなたの腕にぶら下っているのは人と数えないお猿さんでしたの?」 「き、君は」 「淑女の振る舞いが出来なければ、どんな社交の場でも人扱いされません。あなたこそご存じですわよね」  ヴェリカは従姉妹達を思い出していた。  彼女達はどんなパーティや茶会でも、女主人に振る舞いを窘められたと激高しながら帰って来る。男性客にちやほやされた自分達を僻んでいると毎回声をあげるが、その男性が彼女達に婚約を申し出て来ることなど一度もない。  ヴェリカはアランの腕にぶら下るララに対し、初めて「哀れ」と感じた。 「では、見苦しくない振る舞いを教えてさし上げて。大事な愛人でいらっしゃるのでしょう」 「あい、愛人だと?君達気取りかえった女がララを虐めるのは本当だったんだな。ああ、可哀想なララ」 「ララさんがいらっしゃるなら、私は不要ですわね」  アランは首が折れる勢いで発言者に顔を向けた。  その驚愕しきった顔に、ヴェリカは心の中でレティシアに喝采をあげる。 「な、なにを急に君は言い出すんだ!!」 「あら、アラン。あなたは最初から私と婚約破棄がしたいと言っていましたわね。ええ。しましょう。父に申し上げ、そして、現在王都にいらっしゃっている我が一族の当主、ダーレン・ドラゴネシア様にも申し上げます。我が婚約者は愛人を作り私に無礼千万ですので婚約破棄がしたいと」 「い、いや。それは待ってくれ!!私達は親友だろ?親友同士互いに傷つかないように別れようと話し合っていたはずだろ?」  レティシアがようやくアランに反撃したというのに、喝さいを上げるよりもヴェリカはアランの往生際の悪さに叫び出しそうだった。  これは、アランがレティシアが自分との婚約を破棄する事を想定してはいなかった、という事だろう。ヴェリカはそう考えた。でなければ、こんなにも情けなくも動揺し、待ってくれと言い出すわけなどない、と。 「私達は冷静に話し合っていたはずだ。急に何を言い出すんだ」 「いいえ。話し合ってなどいません。私こそあなたに一方的に侮辱されていただけですわ」 「あんたが不細工なんだから仕方が無いじゃない!!アランはあんたに辟易していたの。それでも優しくしてもらえたのだから感謝だけなさいな」  なんてことだ、とヴェリカは臍を噛む。  レティシアこそララに黙れと切り捨てられるというのに、レティシアは一瞬で委縮して自分こそ黙ってしまったのだ。
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