ドイツ語が出来ないから、医者を諦めたんじゃありません

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ドイツ語が出来ないから、医者を諦めたんじゃありません

 約十二時間、旅客機に揺られH空港へ降り立つと、日本の夏依りは随分涼しく、   「初ドイツ──来て良かったぁ──」  伸びをして身体の凝りを払いながら、連れに選んでくれた、上司の折原 吏貴也(おりはら りきや)に深く感謝した。 「ワクワクして、全然眠れなかったな……」  丁度半日ズレるから寝とけよと、折原に釘を刺されたものの、ヨーロッパは初めてなもので、ガイドブックを眺め、興奮に目が冴えてしまった。  空港の外へ出ると、涼しいのを通り越して肌寒さを感じ、鞄に仕舞い込んだセーターを慌てて探っていると、   「日比野(ひびの)君、ちょっと──」  声を掛けられ、顔を向けると、折原の隣りに、背の高い外国人が笑顔を見せていた。 「彼は、ドイツチームのエリアス ロレンツェン、君も知ってるだろ? 細胞核機能研究の、アインホルン教授の生徒さんだった、大変優秀な研究員だ」    新しいプロジェクトのメンバーになるとの紹介を受け、親しみを込め会釈すると、スマートな仕種で握手を求められた。 こちらも空かさず手の掌を向けると、   「お会いできて光栄です。ミスター日比野」  両手でやんわり右手を包まれた。流暢な日本語に面食らっていると、   「エリアスは君が来る前、ずっと分子生理学室(うち)にいたんだよ」  種明かしをするように折原が説明を向けた。  ドイツ語は判らないぞ──と、身構えていた僕は胸を撫で下ろし、エリアスの輝く様なブロンドと、まるで、色の無いほど淡く、澄んだ綺麗な碧い瞳に、ちょっと見惚れてしまった。    暫くすると、地元の研究所から迎えの車が到着し、トランクに荷物を預け、エリアスと並んで後部座席へ腰を据えた。   「於菟(おと)はまだ若いけどな、来年度からは『人工細胞研究室』の室長だ。サポートして遣ってくれよ」  助手席に座った折原がエリアスを振り返ると、エリアスは目を(みは)り、 「おぅ──この若さで室長ですか……それは素晴らしい。よろしくお願いします」  改めて室長だとの実感が湧き、更には(おだ)てられちゃって、僕は照れ臭さに頭を掻いて見せた。   「日比野 於菟(ひびの おと)と言います。暫くは、神経が尖ることばかりかと思います。結果を急がず、丁寧に遣って行きましょう」  我ながら気取った自己紹介に、照れ笑いを乗せて笑顔を向けると、   「はい。貴方を全面的に信頼し、サポートします」  エリアスは魅惑の瞳で僕を(みつ)めて来た。  その視線が、何だか妖し気に煌めいて見えたから、ドキリ──と胸が鳴ってしまった。    判りやすく身体を強張らせた僕に、白い歯を見せ笑ったエリアスは、   「貴方のこと……沢山教えて下さい」  サラリ──と口にし、『──ん? 日本語……少し変だぞ?』と、首を捻ると、肩へ腕を回され、あれよの間に身体を引かれた。
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