目覚まし

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「くぁぁ、眠。」 あくびが漏れる。 マスクがずれて汚れた眼鏡が白く曇る。 次の電車の到着を待つだけの短い時間でも、立っているのはつらいと最近思うようになった。印の前に並ぶ長蛇の二列。前を見てもくたびれたスーツの背中しか目に入らず、それがまた日々への憂いを呼ぶ。 うつむきすぎたせいで首が痛い。負担を軽減させようと首を回しつつ、周りを眺めていると一番前に立っている人もうつらうつらしている。 ホームの電光掲示板を見ると、回送の2文字。回送、あまり見かけないがその電車にもはや乗りたい。まだ朝なのに、疲れが押し寄せている。だけど、この人の多さじゃあ座れないだろう。壁にもたれられるだけでも嬉しいと思わねば。 回送電車がゆっくりとホームを通過する。アナウンスが入る。誰も乗せていないその電車は、何も背負っていないから軽々としているように見える。寝不足なんかではなく、きちんと仕事をやりきった後のフィニッシュランを悠々と行っている。いいなぁ、とついつぶやいてしまいそうだ。 回送の文字が消えた後、浮かび上がったのは通過の2文字。いやまだ来ないのかとツッコんでしまいそうだった。逆に珍しい。回送電車後通過電車はあまり見たことがない。 「電車が通過します。黄色い線の内側にお立ちください。」 大丈夫だ、そんなやつはいない。なんて一人で脳内で言っていると、一番前で立ったまま寝ていたサラリーマンが足下に置いていたカバンを手にとって息を吐いたように見えた。 右の奥から電車の走る音が近づいてくる。その人はまるでもうすぐ到着する電車に乗る準備をするかのように、黄色い線を踏み越え。 「えっ」 自分と同じように寝不足だと思っていたから、変な仲間意識を感じていたその男性が、ホームの縁まで歩き。唐突に姿を消した。 「あれ?えっ」 一瞬の出来事だった。目が、頭が、一瞬で冴える。そしてそれは自分以外もそうだった。 「う、うわ、落ちた!落ちたぞ!」 夢か現か判別した束の間の後、あちこちで大声が湧き上がった。 「おい、誰か、駅員呼んでこい!」 男の怒号がホーム内に響き渡り、別の声にかき消される。 「あんた、あんた!おい、早く上がってこい!電車が来るぞ!」 便利な乗り物が凶器と化す。ホームに落ちた男性は、予期せぬ急な浮遊感に呆気にとられ、直後足に鋭い痛みを感じて押さえていた。 「くぁ」 音量のほぼない叫びが、口から漏れている。先程まできれいに整えられていた2列はすでに崩され、みな事故現場を撮る野次馬のように群れ、膨れ上がっていた。 「やばい!やばい!電車が来るぞ!」 そう言ったのは自分か、隣の男か。口が乾き、汗がなぜか止まらない。迫り来る電車の音が焦りを加速させる。 ホーム下に落ちた男性は足を庇いながらなんとかホームに手を伸ばし、よじ登ろうとするも跳躍力が足りず奇しくも届かない。そして。 「うわ!電車が来たぞー!」 その声はもはや誰にも届かない。届くのは固い声のアナウンスだけ。ホームを登ろうとする男性を助けもせず、意味のない叫びを続け、その音が大きくなったのがわかったのか彼の顔は見るからに青ざめていった。 「た、助けて!たすけ、、、」 そして、その痛々しい叫び声を最後まで聞いた者はいなかった。見えたのは息を荒げた彼の生気のない真っ白な顔だけだった。 ホームに縋り付く彼は、猛スピードで向かってきた電車に轢かれ挟まれ、首が容赦なく飛んだ。 阿鼻叫喚が広がり、数秒後、一際甲高い声がホーム内を貫いた。 後でニュースで見たところ、首のない彼の体は、腕だけがホームに残り、下半身は線路上に散乱したそうだ。そして飛んだ首は1号車の扉の位置まで距離を伸ばし、椅子に座って我関せずを貫いていた女性の目の前に着地したらしい。だから、閃光のような悲鳴があの時聞こえたのだ。 生首が飛ぶ光景に意識も飛ぶ者が多数。吐き気を催す者もいた。かくいう俺もその一人。ただ目を離せず唖然としていた。 「〇〇駅で人身事故が発生しました。安全が確認できるまで一時運行を停止させていただきます。大変申し訳ありませんが、JRが振替輸送を行っておりますので、そちらにお乗り換えをお願いします。繰り返します。。。」 混雑した駅でアナウンスが鳴る。 「ちっふざけやがって」 これもまた一つの日常で、悪態をつくのも日常なのだ。
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